藤村 豪 個展『誰かの主題歌を歌うときに』

藤村 豪 × 深川 雅文 往復書簡パフォーマンス

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藤村豪(アーティスト)と深川雅文(キュレーター/クリティック)が行う、往復書簡パフォーマンスをご覧頂けます。

藤村豪個展『誰かの主題歌を歌うときに』に際し、会期直前から会期終了までの6週間に渡り、ギャラリーがフィルターとして介在しながら、二人の間で行われる文通は、「日本語→ポルトガル語→日本語」と2度の自動翻訳を経て、内容に一部ズレが生じた状態でお互いにやりとりが行われます。

※2020年7月3日(金)をもちまして、本パフォーマンスは完結いたしました。

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*両者からの手紙はギャラリーにEメールで送られ、翻訳済の文章のみが相手に転送されます。

(深川氏の論考タイトル「デサフィナード(調子はずれ)」がポルトガル語であることにちなみ、言語選択が行われました)

 
 

原文 

赤:藤村の手紙 

青:深川の手紙

翻訳文 

ピンク:藤村の手紙(を、自動翻訳したもの) 

水 色:深川の手紙(を、自動翻訳したもの)

05.30  |  06.05  |  06.11  |  06.13  |  06.18

06.20  |  06.29  |  07.02 [1]  |  07.02 [2]  |  07.03

藤村豪の行う往復書簡

Jun 13, 2020

藤村さん
 
ミュンスターでお会いされた木下さんのお仕事についてお話いただきありがとうございます。
木下さんの作品は音と声を素材にした素晴らしい作品です。日本でもっと見てみたい作家だと思いますが、藤村さんの作品と木下さんの作品をつなぐと、刺激を受けました。
 
「音」と「声」は人類史上最も独創的な媒体であると思われるが、洞窟壁画のようなものとして残せなかったため、不明瞭な領域に属しているようだ。 4万年前といわれるホモ・サピエンスの歴史の中で録音が可能になったのは19世紀後半のごく最近のことのようです。 ICレコーダーを手に入れ、時間をかけて調べてみたいと思います。
 
展覧会に参加したアーティストを見ると、音や声を重視した作品が多いことに気づきました。その1つがLuis Boltsです。ボルツと声の関係はどうなっているのだろう。 1992年にパリで発表されたボルツの作品「Night Watch」は、写真家としての道を大きく外れたため問題でした。この作品を川崎の展覧会で発表しました。高度技術が進出する社会の危険を明らかにします。それは巨大な壁画スタイルの仕事でしたが、ショールームには、この作品に調和した現代性を示す言葉だけが含まれた、一瞬の詩をささやくテープがささやかれていました。その声も含まれる仕事でした。できればどこかでこの作品を展示できたら、また夢を見る。
 
藤村さんは「何を覚えていますか」と繰り返し尋ねました。キュレーターとして、展覧会のためにアーティストと交換した言葉を思い出し、時には頭の中で繰り返します。私がルイス・ボルツと交換した言葉を覚えています、そしてその瞬間は生き返ります。声と表情。展覧会を通してアーティストと交流した経験は、私にとって特別なものだと思います。ボルツは数年前に亡くなりましたが、私はまだ彼の声を覚えています。
 
一方、アーティスト側は学芸員の言葉にとらえられて記憶されているのかもしれません。藤村さんはそのような経験はありませんか?
 
最近「好きな歌の歌詞」という言葉を聞いて、いつも聴いている歌を思い出しました。
Djavanの "Flor de Lis"。ポルトガル語で「ユリの花」を意味します。今では国歌になった。失恋の歌ですが、文字の世界は深く、ブラジル人の心の風景を高めています。コルコバードの丘にそびえ立つ巨大なキリスト像は、ブラジルの中心部に住む人々の神性を象徴しているのではないかと思いました。あ、まだ見たことのないブラジルに行きたいです。コロナ(COVID-19)はまだ遠いですが、ブラジルの人のことを思います。
 
久しぶりですが、ここにブラシを入れます。そう。


雅文

深川雅文の行う往復書簡

Jun 13, 2020

藤村様
 
ミュンスターで出会った木下さんの作品のことを教えていただきありがとうございます。
木下さんの作品は、まさに音や声が作品の素材となっている素晴らしい仕事ですね。日本でも、もっと見てみたい作家だと思います。藤村さんの作品と木下さんの作品を線で結んでみると「なるほど」と閃きがありました。
 
「音」や「声」は、おそらく人類の歴史の上で最も原初的なメディアであるはずなのですが、洞窟壁画のようにモノとして残すことが出来なかったので未明の領域に属しているように思えます。4万年とも言われるホモ・サピエンスの歴史の中で音声記録が可能になったのは19世紀の後半でつい最近のことですから。ICレコーダーを持ってその頃にタイムスリップして調べてみたいですね。
 
僕が展覧会で関わった作家の皆さんを振り返ると、結構、音や声を重要な要素として使った作品があったなと気づきました。その一人にルイス・ボルツがいます。ボルツと音声なんてどんな関係があるのかと怪訝に思う方が多いかもしれません。1992年にパリで発表したボルツの作品「夜警」は彼が写真家として歩んできた道筋を大きく逸れるもので問題作となりました。僕は、川崎での展覧会でこの作品を紹介しました。ハイテクが浸透する社会の危うさを照らし出すものでした。巨大な壁画風の作品でしたが、実は展示場にはこの作品に合わせて現代性を示す単語だけが並んだ即物的な詩を囁く声がテープで流れていました。その声も合わせての作品でした。可能ならもう一度、この作品の展示をどこかでできたらなと夢見ています。
 
藤村さんから、繰り返し「覚えている」のは何ですか? という問いをいただきました。キュレーターとして展覧会のために作家と交わした言葉は結構覚えていて、頭の中でリピートされることがあります。ルイス・ボルツと交わした言葉は、今も覚えていてその時のことが蘇ってきます。その声や眼差しなども。展示をとおして作家と関わるという体験は僕にとって何か特別なものだと思います。ボルツは数年前に亡くなりましたが、その声は今も覚えています。
 
逆に、作家の側から、キュレーターの言葉が引っかかって思い出されるということもあるのかもしれませんね。藤村さんにはそういう経験はありませんか? 
 
「お気に入りの曲の歌詞」という言葉で、最近、よく聴く曲のことを思い出しました。
Djavanの《Flor de Lis》です。ポルトガル語で「百合の花」という意味です。今では国民的な歌にもなっています。失恋の歌ですが、その歌詞の世界はブラジルの人々の心の風景を立ち上げさせる深いものです。コルコヴァードの丘にそびえ立つ巨大なキリスト像は、ブラジルの心に人々に宿る神性を象徴しているのかもしれないと思いました。ああ、まだ見ぬブラジルに行ってみたいです。まだまだ続くコロナ(COVID-19)禍の中、ブラジルの人々のことにも想いが向かいます。
 
長くなりましたが、ここで筆を置きます。では。
 
雅文

 
 

05.30  |  06.05  |  06.11  |  06.13  |  06.18

  06.20  |  06.29 07.02 [1]  |  07.02 [2]  |  07.03

原文同士のやりとり

※パフォーマンスの副産物として生じた実在しない対話

Jun 13, 2020

藤村様
 
ミュンスターで出会った木下さんの作品のことを教えていただきありがとうございます。
木下さんの作品は、まさに音や声が作品の素材となっている素晴らしい仕事ですね。日本でも、もっと見てみたい作家だと思います。藤村さんの作品と木下さんの作品を線で結んでみると「なるほど」と閃きがありました。
 
「音」や「声」は、おそらく人類の歴史の上で最も原初的なメディアであるはずなのですが、洞窟壁画のようにモノとして残すことが出来なかったので未明の領域に属しているように思えます。4万年とも言われるホモ・サピエンスの歴史の中で音声記録が可能になったのは19世紀の後半でつい最近のことですから。ICレコーダーを持ってその頃にタイムスリップして調べてみたいですね。
 
僕が展覧会で関わった作家の皆さんを振り返ると、結構、音や声を重要な要素として使った作品があったなと気づきました。その一人にルイス・ボルツがいます。ボルツと音声なんてどんな関係があるのかと怪訝に思う方が多いかもしれません。1992年にパリで発表したボルツの作品「夜警」は彼が写真家として歩んできた道筋を大きく逸れるもので問題作となりました。僕は、川崎での展覧会でこの作品を紹介しました。ハイテクが浸透する社会の危うさを照らし出すものでした。巨大な壁画風の作品でしたが、実は展示場にはこの作品に合わせて現代性を示す単語だけが並んだ即物的な詩を囁く声がテープで流れていました。その声も合わせての作品でした。可能ならもう一度、この作品の展示をどこかでできたらなと夢見ています。
 
藤村さんから、繰り返し「覚えている」のは何ですか? という問いをいただきました。キュレーターとして展覧会のために作家と交わした言葉は結構覚えていて、頭の中でリピートされることがあります。ルイス・ボルツと交わした言葉は、今も覚えていてその時のことが蘇ってきます。その声や眼差しなども。展示をとおして作家と関わるという体験は僕にとって何か特別なものだと思います。ボルツは数年前に亡くなりましたが、その声は今も覚えています。
 
逆に、作家の側から、キュレーターの言葉が引っかかって思い出されるということもあるのかもしれませんね。藤村さんにはそういう経験はありませんか? 
 
「お気に入りの曲の歌詞」という言葉で、最近、よく聴く曲のことを思い出しました。
Djavanの《Flor de Lis》です。ポルトガル語で「百合の花」という意味です。今では国民的な歌にもなっています。失恋の歌ですが、その歌詞の世界はブラジルの人々の心の風景を立ち上げさせる深いものです。コルコヴァードの丘にそびえ立つ巨大なキリスト像は、ブラジルの心に人々に宿る神性を象徴しているのかもしれないと思いました。ああ、まだ見ぬブラジルに行ってみたいです。まだまだ続くコロナ(COVID-19)禍の中、ブラジルの人々のことにも想いが向かいます。
 
長くなりましたが、ここで筆を置きます。では。
 
雅文

自動翻訳文のやりとり

※パフォーマンスの副産物として生じた実在しない対話

Jun 13, 2020

藤村さん
 
ミュンスターでお会いされた木下さんのお仕事についてお話いただきありがとうございます。
木下さんの作品は音と声を素材にした素晴らしい作品です。日本でもっと見てみたい作家だと思いますが、藤村さんの作品と木下さんの作品をつなぐと、刺激を受けました。
 
「音」と「声」は人類史上最も独創的な媒体であると思われるが、洞窟壁画のようなものとして残せなかったため、不明瞭な領域に属しているようだ。 4万年前といわれるホモ・サピエンスの歴史の中で録音が可能になったのは19世紀後半のごく最近のことのようです。 ICレコーダーを手に入れ、時間をかけて調べてみたいと思います。
 
展覧会に参加したアーティストを見ると、音や声を重視した作品が多いことに気づきました。その1つがLuis Boltsです。ボルツと声の関係はどうなっているのだろう。 1992年にパリで発表されたボルツの作品「Night Watch」は、写真家としての道を大きく外れたため問題でした。この作品を川崎の展覧会で発表しました。高度技術が進出する社会の危険を明らかにします。それは巨大な壁画スタイルの仕事でしたが、ショールームには、この作品に調和した現代性を示す言葉だけが含まれた、一瞬の詩をささやくテープがささやかれていました。その声も含まれる仕事でした。できればどこかでこの作品を展示できたら、また夢を見る。
 
藤村さんは「何を覚えていますか」と繰り返し尋ねました。キュレーターとして、展覧会のためにアーティストと交換した言葉を思い出し、時には頭の中で繰り返します。私がルイス・ボルツと交換した言葉を覚えています、そしてその瞬間は生き返ります。声と表情。展覧会を通してアーティストと交流した経験は、私にとって特別なものだと思います。ボルツは数年前に亡くなりましたが、私はまだ彼の声を覚えています。
 
一方、アーティスト側は学芸員の言葉にとらえられて記憶されているのかもしれません。藤村さんはそのような経験はありませんか?
 
最近「好きな歌の歌詞」という言葉を聞いて、いつも聴いている歌を思い出しました。
Djavanの "Flor de Lis"。ポルトガル語で「ユリの花」を意味します。今では国歌になった。失恋の歌ですが、文字の世界は深く、ブラジル人の心の風景を高めています。コルコバードの丘にそびえ立つ巨大なキリスト像は、ブラジルの中心部に住む人々の神性を象徴しているのではないかと思いました。あ、まだ見たことのないブラジルに行きたいです。コロナ(COVID-19)はまだ遠いですが、ブラジルの人のことを思います。
 
久しぶりですが、ここにブラシを入れます。そう。


雅文