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長谷川寛示個展『My Sútra』開催記念 トークイベント

山田奨治 × 長谷川寛示

文化と宗教

河西:

長谷川:

作品を作っているのも、初期仏教で感銘を受けたということを伝えたくて長谷川さんは僧侶として制作しているというのをおっしゃっていますね。

 

そうです。お経にしても、元は喋り言葉から始まったはずなのですが、それはサンスクリット語に置き換わり、その後漢字に置き換わり、それが日本に入ってきて読まれています。でも、お経を聞いても意味は分からないですよね? 本来は意味を伝えるためのお経が、今や聞いても意味が分からないという逆説的な状況に僕は面白さを感じます。しかし、だからこそもう一度意味を考え直したいとも思っていて、それが作品を作る動機にもなっています。

 

僕は作品にパンクロックやヒッピー、ビートカルチャーを引用していますが、自分たちが辿ってきた文化を用いて仏教を再構築できないかと考えています。ステートメントにも記載している「Punk is attitude. Not style.」は、イギリスのパンクロッカーのジョー・ストラマーの言葉です。パンクロックというのはスタイルではなく姿勢そのものだから、例えば自分たちがレゲエのような曲を演奏していてもパンクやらないのかなんて言わないでくれ。レゲエを演奏していてもパンクの精神が中に通っているんだという意味で言ったものですが、僕はこの言葉に仏教に似たものを感じています。

山田:

長谷川:

私はパンクロックには馴染みがないのですが、長谷川さんがかつて影響を受けたというカート・コバーンの「Smells Like Teen Spirit」を聞いたのですが、すごく格好よかったです。カート・コバーンの容姿も格好いいですが、サウンドも良かったです。そして、私はパンクを知らないはずだったのに、あの曲はどこか聞いたことがありました。私がなぜか知っているということは、パンク・カルチャーもある種普遍的なものになっていて、様々な人にどこかで影響を与えているほど生活に染み込んでいるのだと感じました。

 

そうだと思います。そう言った文化的な流れは、宗教などと比べると俗物として扱われることも多いと思いますが、僕はそこに差はないのではないかと考えています。人に何かを伝えようとするコミュニケーションの結果アートや音楽が生まれている側面もあると思うのですが、元は宗教も同じだったと思います。

山田:

長谷川:

私が知らぬ間にカート・コバーンを聞いたことがあるのと同じように、気がつかないうちに内面化されているものが文化であるし、宗教も同じことだなと思いました。

 

そうですね、音楽に限らずあらゆる文化が国も時代も関係なく、多くの人に受け入れられ、浸透し、蓄積していくことは、宗教にも通じると思います。この流れでご紹介すると、この奥にも2つ作品がありますが、他の作品に比べもう少し宗教そのものをモチーフにしています。こちらの作品の中央にあるのは仏教でよく使われる蓮の花で、その周りにある5輪の花は今では日本に自生していて僕のアトリエ近くにも咲いていますが元は外来の植物です。先ほども話しましたが、仏教では自分たちの世界と極楽浄土の境界線として仏具が置かれています。それを敢えて蓮だけでなく身近に咲いている元は外来の花を使うことで、今の世の中を表すメタファーのようなものとして制作した作品です。

山田:

長谷川:

この花瓶は法隆寺の百済観音がぶら提げている花瓶になんとなく似ていますけど、そういう意味ですか?

 

確かに似ていますが、今回はいくつも作った花瓶から一番合うものを選びこれになりました。

山田:

長谷川:

蓮という聖なる花と、その辺に生えている雑草という俗なものの対比というか融合を意識した作品ですね。

 

もう1点は薔薇がモチーフです。キリスト教の象徴としても使われる薔薇を、仏教で使われる素材、様式、技法を使い制作するというコンセプトの作品です。

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Flower and Vase_1

2019  |  Japanese cypress, gold leaf, ceramic

H710 × W190 × D200 mm

©︎ Kanji Hasegawa, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

Flower and Vase_2

2019  |  Japanese cypress, gold leaf, ceramic

H320 × W100 × D130 mm

©︎ Kanji Hasegawa, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

河西:

山田:

仏教は全てを肯定するので、僧侶として作品を制作している長谷川さんがキリスト教のモチーフを使うというのは良いと思いますが、先ほどサンフランシスコ禅センターではユダヤ教の方々が禅を説いているというお話でしたが、ユダヤ教は一神教なのでどう両立しているのでしょうか。

 

すごく不思議ですよね。(笑)私はユダヤ教ではないので気持ちまでは分かりませんが、何かメンタリティーの面で近いものがあるのかと思うんです。

長谷川:

山田:

最近のアメリカではカトリックの教会の中で、座禅を組むためのメディテーションルームを設けている場所もあるようです。そこに永平寺から指導にいくこともあります。そういった仏教だから、一神教だから、という考えや立場を超えて共感するものがあるんだろうと僕は思います。

 

修道士の生活は禅僧と近いので、キリスト教でもメンタリティの面では仏教を信仰することと近い面はあると思います。

河西:

長谷川:

あとは、ギャラリーの入口にも1点作品がありますね。

 

はい、この小さい作品は他の作品と少し成り立ちが違います。女の子の像は僕が作ったものではなく60年代に作られた香水瓶です。上半身が蓋なので、それぞれ取れるようになっています。

山田:

長谷川:

今は長谷川さんの作られたトリカブトの花を持っていますが、元々左手に何か持っていたのですか?

元は花のような物がありました。

山田:

長谷川:

色も上から何かを塗られていますか?

 

そうです。元はプラスティック製で汚れていたこともありますが、他の作品と一緒に展示することを考え上から色を塗っています。この香水瓶は少女の形をしていますが、今僕たちがこれを見て感じることと、当時作っていたときの思いとでは大きく認識の違いがあると思います。同じモチーフでも、生きている時代によって感覚や考え方に違いが出てきて、見え方が大きく変わるということに興味が沸きこれをシリーズとして制作しています。

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A Girl with a Flower

2019  |  Japanese cypress, gold leaf, antique glass, copper wire   | H320 × W100 × D130 mm

©︎ Kanji Hasegawa, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

山田:

河西:

トリカブトが現代的な女性像を反映させたというところがピンと来ないのですが、どういう意図なのでしょうか。

 

この作品を先ほど海外の方へ説明したら、「現代の女性は非常に毒ということですね。」とおっしゃっていました。(笑)

長谷川:

山田:

この可憐な少女は、作られた当時は純粋無垢の象徴だったのかと思いますが、現代において毒も持ちうるという意味合いも含めトリカブトを持たせました。

これを見たとき、少女の左手から何か伸びているところが、バンクシーの赤い風船に構図が似ているなと思っていました。別にオマージュではないですよね?

長谷川:

河西:

そうですね。それはないですが... これからそれも入れていこうかなと思います。(笑)

 

あと、このトリカブトは司祭の帽子に似ていることから英語で “Monkshood”と言われているそうです。無意識のうちにここでもキリスト教的なモチーフを取り入れていましたね。

時代による価値観の変化

時代による価値観の変化

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Pinch

2019  |  Japanese cypress, gold leaf, ceramic  | H530 × W310 × D330 mm

©︎ Kanji Hasegawa, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

NEVER MIND

2019  |  Japanese cypress, gold leaf, ceramic | H510 × W110 × D50 mm

©︎ Kanji Hasegawa, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

長谷川:

その他の作品ですが、こちらの《摘心》は大麻をモチーフにしています。仏教に限らず神道でも古くから大麻は重宝されていたのですが、現代においては違法な物として扱われていて、この作品では、大麻がどういうパブリックイメージを持っているかをテーマにしています。

 

タイトルの摘心とは農業の用語で、上に伸びる枝を剪定することで今ある葉に養分を行き渡らせ枝葉を増やし実りを多くするという技法です。大麻は花を使用するのですが、摘心をすることで1株からいくつもの花を咲かせることが出来るので、これは違法なことをしているということを示唆するために敢えて摘心して枝が切られている様をそのまま作品にしています。

山田:

長谷川:

お詳しいですね。

ビートジェネレーションの流れで知りました。人間の思惑で形が変えられてしまったけれど、それも含めて自然のものだということをコンセプトにした作品です。

山田:

長谷川:

大麻もアメリカでは徐々にレクリエーショナル・ユースが解禁されていますので、10年、20年後は日本でも変わるかもしれませんね。

 

そうですね。今は非合法なものでも、認識や価値観が変わると、今後合法なものになる可能性があり、そういう「認識のズレ」を表す象徴的なものなのではないかと思います。先ほどの女の子の作品も、「同じ物が、過去と現代で見られ方が変わる」という点で近いものを感じます。

 

最後の1点が《Never mind》というタイトルです。これはニルヴァーナの有名なアルバムのタイトルなのですが、アルバムのジャケットで歪んだ形でロゴが使われていて、それをそのまま花器に落とし込んでいます。僕が仏教に触れる上ではニルヴァーナもヒッピーもビートジェネレーションもどれも大切な要素で、それらがあって初めて仏教に繋がったので、ニルヴァーナのような若者文化の象徴を仏教の様式の中に入れるということで、仏教とカンターカルチャーの融合を表現した作品にしました。

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山田:

長谷川:

これはロゴだったんですね。アルバムのジャケットにある、泳いでいる赤ん坊のイメージかと思いました。

 

色はそれを意識して近くしています。

山田:

長谷川:

こういった植物は図鑑か何かを見て作られるんですか?

形はほぼインターネットで写真を探して参考にしています。先ほどご紹介した外来の雑草と薔薇だけは身近なものをモチーフにしていて、薔薇は近所のおじいさんが育てているものです。(笑)その他は、目にする機会がないので大量の画像を見ることで頭の中で3D化して制作しています。

山田:

長谷川:

サイズも実物大ですか?

はい、ほぼ実物大です。サイズよく分かりますね、とよく言われますが、植物を育てている経過をインターネット上に掲載している方が結構いるようで、どのくらいのサイズになったのか定規をあてて写真を撮っているんです。その情報をありがたく使わせていただいています。

山田:

長谷川:

大麻に定規をあてて撮っているんですか?

そうです。大麻が合法の国が多いので、そういうところではあの子から貰った芽がもうこんなに大きくなったよとか、何週間で何センチ伸びました、というように記録として載せてくれています。(笑)

山田:

長谷川:

私は35年前筑波大の学生で、その時に取っていた植物学の授業の教授が大麻の話をしていましたが、筑波山へ行けばこんなものその辺に自生しているよと言われてしまいました。まだあるかどうかは知りませんが、専門家が言っていたのだから本当に自生していたのでしょうね。日本のものはそこまで毒性がないという話を聞いた事があります。

そうですね、少し種類が違うようです。ここにある作品の大麻は海外の物を参考にしているので、日本に自生しているものとは違います。ですが、70代以上の方がこれらの作品を見ると、すぐに大麻だと分かるようで「昔はよくその辺に生えていたのよ」と言われます。土手に行けば生えていたそうですね。

河西:

山田:

大麻は少し調べただけで、世界中の古代文明で薬草として非常に重宝されてきたと出てきますね。長谷川さんは、人間のその時の価値観で重宝されていた大麻が今は違法になり存在してはいけないものになっているという状況に物申したいということではなく、「面白がっている」という態度ですよね。


一時期アメリカではアルコールも御法度だったわけですから、そういうことを考えれば禁止薬物も絶対的なものではないですね。

質疑応答

質疑応答

河西:

それでは、皆さまから何か質問があればお伺いしますが、まずは私からよろしいでしょうか。私はギャラリーとして、長谷川さんの作品を世界に広める立場にあります。山田先生へ伺いたいのですが、禅がアメリカで広がっていったのは、何がきっかけで受け入れられたのでしょうか?

山田:

こういう現代アートに属するものは文脈が大事なんですよね? だからこれをどういう文脈に置くのかが鍵になるんじゃないかなと思います。

 

「美術手帖」の取材で村上隆さんと対談した時に、彼は、アメリカはよく戦争している国だから、日本で戦乱が絶えなかった時代の禅を持って行ったら受け入れられるのではないかと思ったと言っていたんです。彼なりの戦略と言いますか、予感でもって禅的なものが受け入れられると感じたのだと思います。村上さんの場合は戦争ということを鍵概念として出したけれど、それと禅を結びつけることには疑問もあります。

 

そういえば、先ほどお話したサンフランシスコ禅センターでは色々なところにアートが置いてあるのです。後ほどご紹介しますので、その間に他の質問をよければどうぞ。

質問者:

長谷川:

質問者:

山田:

では、長谷川さんへ質問なのですが、禅とはそもそも何を伝えているのでしょうか。

 

禅は中国から伝わってきていて、中国で最初に禅を開いたのは達磨大師という人です。日本でダルマをよく見かけると思いますがあれが達磨大師です。彼は少林寺という寺を開き、禅僧たちは日々その寺で修行をしていました。その概念を日本に伝える時、中国は全てが漢字なので、意味と音の2つで伝わりました。

 

少林寺と聞くとみなさんが思い浮かべるのはカンフーや拳法だと思いますが、カンフーは元々クンフーと言って、クンフーとは物事を成し遂げるためにかける経験や時間のことを言っています。例えばすごく精巧に作られた工芸品を見た時、これはクンフーを感じると言ったり、すごく鍛え上げられた肉体を見て、あなたはすごくクンフーを積みましたねと言われていたことから、拳法をカンフーと言うようになりました。

 

これは音で伝わったので日本では「工夫」と言われています。「工夫」とはクンフーからきているので、物事を何か成し遂げた時に工夫して何かを成し遂げるということは、経験や時間を大切にするという禅からの流れがあります。音で入ってきた「クンフー」に対して意味として伝わったのは何かと言うと、これが「修行」と言われています。なので禅の世界では、生活のあらゆる面、機微に至るまで、工夫して何かをやり遂げるその思いを修行と言い、座禅をするときは精一杯座禅を行い、作務*23をするときは精一杯作務をします。

 

生活のあらゆる側面に心を配って、精一杯努力をすることを修行と言い、それが禅の最も大切な基本的な概念だと思っています。

面白かったです。ありがとうございました。

 

先ほどお伝えした禅センターに置いてあったアートについてご紹介します。折り鶴アートや、小さな仏像がある他に、ソ連軍が作ったAK-47*24 の弾丸を丸く輪っか状に繋げて作ったオブジェが置いてあります。長谷川さんのコカコーラの作品などは、そういうコンテキストに置いても受け入れられるかと思います。

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AK-47の弾丸を使用した作品(撮影:山田奨治)

長谷川:

山田:

長谷川:

河西:

質問者:

山田:

河西:

質問者:

長谷川:

面白いのは、仏像を見ても日本にあるものと比べて顔が違う事です。物によってはガンダーラ彫刻になっています。

 

なんでもありです。東洋的なものであれば、一緒くたにして受容しているところはありますよね。

これを見ていて思い出しましたが、僕の1年先輩のお坊さんでスイス人の方がいたのですが、その人は永平寺に来る前はアメリカのニューオーリンズの僧堂にいたそうです。そこの僧堂は元々音楽スタジオだったところを改築して建てているので、オーティス・レディングのレコードがまだそこに置いてあると話してくれました。場所や空間にあまり頓着がないようなところがあるのかも知れないですね。(笑)

 

他にご質問ある方はいらっしゃいますか?

山田先生へお聞きしたいのですが、アメリカの婦人誌でZENが取り上げられていたというお話でしたが、当時はZENが最先端の格好いいこととして扱われていたのでしょうか?

 

やはり時代性もあって、当時の女性向けメディアはマイノリティです。そういったマイノリティの中でまず広がっていきました。今でも、禅や仏教はアメリカ文化の中でマイノリティだと思います。マジョリティはやはりキリスト教で、そこから溢れた人たちが仏教などに走っている感じはあります。メインカルチャーの中で虐げられていた人たちの心のアンテナに引っかかっていき、そこから広がっていったという流れがあります。

ありがとうございます。他にご質問はありますか?

長谷川さんの今回の個展を拝見して、作品のサイズが割と小さめに収まっているなという印象なのですが、今後コンセプトを変えずに1メートルを超えるような大きな作品を制作した場合、どういったものを作りたいですか?

そうですね。大きいものは作ってみたいと思っていますが、例えばこのコカコーラの作品を作るのに1ヶ月半程度かけています。もしこれを1メートルを超えるサイズで作るとなると恐らく相当な時間がかかるので、今はまだ勇気が出ないというところです。(笑)でもどこかで大きい作品も挑戦したいと思っています。

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個展『My Sútra』展示風景

©︎ Kanji Hasegawa, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

山田:

河西:

大きい作品はやはり勇気がいりますよね。

 

サイズが変わる場合も、モチーフに対して作品を等身大にされますか?

長谷川:

山田:

僕は身の回りにあるものをモチーフにして置き換えることで、意味合いが大きく変わることに彫刻の面白さを見いだしているので、なるべくは等身大で作ろうと考えています。

ある方から現代アートの一つの見方を教わったのですが、その方が言うにはある程度大きな作品を作っている作家は、やはりそれだけ支えてくれる方がいるということでもあり、作品のサイズは一つのポイントになるそうですね。

長谷川:

山田:

それはあると思います。最近は沢山のスタッフを抱えて作品を作ることが主流の一つになっているので、そういった大人数のスタッフを抱えて大きな作品を作れる作家はそれだけ世の中に認められた人というとこだと思います。

ただし身近で楽しむ作品にはならないでしょうね。家に置けなければ世の中に流行らないですし、美術館に収蔵されて謂わば日常性から切り離されたような空間に置かれることが、その作品にとってプラスなのかそうではないのかは分かりません。

長谷川:

河西:

そうですね。僕は身近なところに作品を置いておきたいということもあり、今回の作品程度のサイズで制作しています。


ありがとうございます。それでは、以上でトークイベントを終了とさせていただきます。この後もクロージングパーティは続きますので、ご自由に作品をご覧いただき、その他ご質問などありましたらぜひ山田先生や長谷川さんへお声がけください。本日はどうもありがとうございました。

注釈

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*23  作務(さむ):禅寺で、僧が掃除などの労務を行うこと。修行の一つと見なされる。

*24 AK-47:ミハイル・カラシニコフが設計し、1949年にソビエト連邦軍が正式採用した自動小銃。実戦の苛酷な使用環境や、戦時下の劣悪な生産施設での生産可能性を考慮したことで、卓越した信頼性と耐久性、および高い生産性を実現した。この特性から、全世界に普及し、基本設計から半世紀以上を経た今日においても使用されており『世界で最も多く使われた軍用銃』としてギネス世界記録に登録されている。https://ja.wikipedia.org/wiki/AK-47

文:小林萌子(KANA KAWANISHI ART OFFICE LLC.)

ウェブアーカイブ:小林萌子(KANA KAWANISHI ART OFFICE LLC.)

ウェブアーカイブ:Gwen Zhang(KANA KAWANISHI ART OFFICE LLC.)

文責:河西香奈(KANA KAWANISHI ART OFFICE LLC.)

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