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戸田沙也加 個展『生い茂る雑草の地に眠る』

開催記念トークイベント
「写真と絵画と彫刻と時間」

タカザワケンジ(写真評論家) × カニエ・ナハ(詩人) × 戸田沙也加(アーティスト)
 

時代の変化とジェンダーの捉え方

〈時代の変化とジェンダーの捉え方〉

カニエ:ジェンダーについても触れた方がいいと思いますが、今の時代だとこういった裸婦をモチーフとした作品は繊細な問題を孕んでいますよね。または、裸婦像以外でも、BLM(ブラック・ライブズ・マター)運動*4では、彫刻が引きずり降ろされてしまうということもありました。こういった裸婦像は、現代ではある種の風当たりの悪さのようなものがありますが、どのように考えますか?

 

河西:  女性という性の立場を利用して、自分が美しいと思うものを描いたというところはありますよね。

 

戸田:  そうですね。

 

カニエ: モデルになった方も、誇らしさのような単純にはいえない気持ちがあったでしょうね。物としても、場所としても、価値観としても、滅びていってしまうものへの想いを戸田さんは女性ならではの、共犯という立場で彼女たちを救っているのが大切なところだと思います。男性が扱おうとすると批判を受けてしまいがちな問題ですからね。

 

戸田:  おっしゃる通り、裸婦像が市庁舎や、公園、図書館などに置かれていることへの風当たりは強いですよね。平戸眞さんの裸婦像も、公共施設に置かれていましたが、不適切だと連絡があったものは撤去しなくてはならなくなり、そういうところに時代の変化を感じます。

 

その時代では、真摯に美しさを追求しようとした作家たちが多くいて、その作品を多くの人たちが美しいと思って見ていたはずなのですが、昨今ではなぜ見せられなきゃいけないんだという意見も多く問題視されています。確かに、私が子供の頃に公園に裸婦像がありましたけど、私も違和感を感じていました。

 

ただ、実際に裸婦像を作り続けていたアトリエに足を踏み入れた時、そのとんでもない美しさに心底感動しました。熱い想いを持って、狂気的な数の作品を制作した作家がいたことを改めて知り、尊敬しましたし、こういう存在や美しさがあったことを証明したいという想いからここ数年追いかけていました。だから、今回の展覧会で発表できてとても嬉しく思います。
 

『生い茂る雑草の地に眠る』展示風景

2023 ©︎ Sayaka Toda, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

河西:  この作品は、個展の初日と比べるとかなり変化しましたね。

 

戸田: そうなんです。今回の作品は、写真も絵画も3週間ほどで制作したのですが、満足していない絵画作品はギャラリーの休廊中に少しずつ描き直しました。

 

カニエ:ここにある作品は、もう完成していますか?

 

戸田:  そうですね、先日ようやく終わったかなと思いました(笑)。

 

河西:  私がギャラリーを始めた時は、写真作家だけでスタートして、そこから私の興味の幅が広がるにつれて彫刻、キネティック、インスタレーションなど、さまざまな作家と共に歩んできました。それぞれ世界の切り取り方が面白いなと思いながらも、実は絵画はとても縁遠く感じていたところがあり、自らをペインターと名乗る方とご一緒したことはなかったんです。ただ、戸田さんの作品から感じるものや、今日のお話を聞いていて、写真作品にしても絵画作品にしても彼女がカメラとなって、感じたものをアウトプットしているんだなと理解できました。

 

タカザワ:戸田さんは作品についてご自身の言葉で語る力をお持ちで、お話も面白い。その一方で戸田さんが言葉にされないものが絵画に込められていると感じます。

 

戸田さんの場合、写真作品は彫刻家に敬意を払って作品の魅力を肯定した、ある種の礼讃(らいさん)だと思う一方、絵画の方は、見られる(描かれる)立場だった女性たちに意識を向け、女性として表現することをどう引き継いでいくかということに向き合っていて、そこには当然、批評的な要素もある。見ていると複雑でアンビバレントな感情が生まれて、心を動かされますね。

画家は植物に詳しい?

〈画家は植物に詳しい?〉

タカザワ:1つ聞きたいのですが、作品タイトルにもありますが、戸田さんは植物の名前をよくわかってますよね。それが僕には衝撃的だったのですが、画家はみんな描く植物の名前を理解しているんですか?

 

戸田:  私の実家が盆栽屋なんです。だから私も植物に詳しい方でして(笑)。

 

タカザワ:名も無い雑草はないとよく言ったもので、だからきちんと草花の名前を覚えろと言われたけど、僕は全く覚えられなかったんです。専門の写真家を除けば、多くの写真家は、それが何かわからなくても形や色でシャッターを切っていると思います。ここに描かれている植物には名前も意味もあるし、象徴性もありますよね。作品の説明をしてもらった時に、なるほどすごいな画家は、と思ったけど、それは戸田さんのすごさなんですね。

 

戸田:  そうですね。私は雑草を観察するのが趣味なので、たぶん特殊なのかなと思います。多くの画家の方々は、雑草に興味はないんじゃないでしょうか。

 

タカザワ:誰かの作品を見ていて、これは植物の特徴を理解していないなと思うことはありますか?

 

戸田:  それは全然ないです。私の方が、植物をきちんとものとして描いていなくて、意味を持たせるためにあえて平面的に描いたり、色や形などをアレンジしていますが、植物をもっと美しく描く方はたくさんいらっしゃいます。植物に愛があるかと言われたら、あるかな?という感じですが、私なりの想いを込めています。

『生い茂る雑草の地に眠る』展示風景

2023 ©︎ Sayaka Toda, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

カニエ:描かれている植物は作品ごとにそれぞれ違いますが、それ以外の選択肢はありましたか?

 

戸田:  アトリエのお庭に生えているものから選んでいるので、選択肢が少ないんです。どの時期に行くかによっても変わるんですよね。先々月、最後の撮影に伺った時に、たまたま椿の花がたくさん落ちていたんです。本来、椿は低木なので背が伸びないのですが、この庭にある椿は7メートルくらいでとても背丈が高く、2階に上がらないと咲いている花は見えないんです。だから、庭にいると、咲いている花は見えないけれど、朽ちた花は足元にたくさん落ちている。その様子を写真に納めましたし、絵画でもその様子を投影しました。

 

河西:  藪枯らしは、本当はみどり色ですよね?

 

戸田:  そうです、みどり色です。藪枯らしも、背高泡立草も、夏はすごい勢いで生えていましたね。

 

タカザワ:リアルな植物をモチーフにして、そこにフィクションを加えて発展させていくんですね。植物に詳しいから、意味を持たせるならいろんな草花を描けるような気がしますが、庭にあるものに限定されている。そこに偶然性が出てきて、もしかしたら前回の個展でのカンナのように意味が変化していくことも起こるかもしれない。未来にもう一度見たくなりますよね。

作品が内包する「時間」

〈作品が内包する「時間」〉

カニエ:7メートルの椿から落ちてきた花は、何枚も撮ったんですか?

 

戸田:  そうですね。100枚くらいでしょうか。それはデジカメだったので何枚も撮りました。

 

カニエ:それらの蓄積されたイメージを描いているんですよね。写真が内包している時間を絵画化しているように感じて、また違った「絵画と写真の関係性」があって興味深いです。時間という意味でいろんなレイヤーがありますよね。彫刻家の時間、アトリエの時間、裸婦像が作られた時間、息子さんの作品の時間。いろんな時間を感じます。質問ですが、テラコッタは何でできているんですか?

 

戸田:  平戸先生、テラコッタについて伺えますか?

 

平戸:  これは素焼き用の粘土でできています。ハニワと同じですね。800度程度で焼くので、とても耐久性が高いんです。

 

戸田:  アトリエには釜がないですが、これらはどこで焼いていたんですか?

 

平戸:  教え子のところなど別の場所に大きな釜があって、そこで焼いていました。家には釜を作る場所がなかったんですよね。

《生い茂る雑草の地に眠る #9》

2023 ©︎ Sayaka Toda, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

カニエ:これらの作品は制作されてからどれくらい経っていますか?

 

平戸:  古いものは僕が子供の頃に作られていて、実際に僕や妹がモデルになった作品もあります。亡くなる直前に制作していた作品は、18年ほど経っています。

 

カニエ:そうですか。それぞれ数十年の時間が経っているんですね。また、これらがきちんと保管されれば、ここからさらに何十年、何百年という時間が続いていきますよね。

 

戸田:  そうなんです。ただ、これらの作品の多くが、どなたかの手に渡るんですよね?

 

平戸:  そうです。アトリエを移さないといけないのですが、全ての作品を次の場所へ持っていくことができないので、気に入っている3分の1ほどを残して、それ以外の作品はお世話になった方や欲しいとおっしゃっている方々へお渡しする予定です。

 

戸田:  なので、このように作品が集まって置かれているのはこれが最後なんです。

 

河西:  絵画でも描かれていますけど、いくつかの裸婦像が首や手首につけているタグは、一見すると暴力的な意味にも取られてしまいそうですが、実は次の引き取り手に渡るための「作品の識別番号のタグ」なんですよね。

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《椿》
2023 ©︎ Sayaka Toda, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

カニエ:そのタグですが、リボンのようなもので結ばれていますが、それぞれ結び方が違って面白いですね。あれも少し意味を加えるように描いていますか?

 

戸田:  いえ、あれは結ばれた状態そのままを描いています。ただ椿の作品だけは、本当はちゃんと結び目があったんですけど、なんとなく描いているうちに結び目が消えてしまっていたことに、あとから気づきました(笑)。ほどけそうに見えますよね。

 

一同:  (笑)

 

タカザワ:猟奇的でもありますよね。暴力的にも見えるし、リボンのように可愛らしくも見えるし。

 

戸田:  椿の作品では、平戸先生の妹さんがモデルになった石膏像を描いていますが、テラコッタと比べると、石膏像は青白くしています。余談ですが、麻のキャンバスを使っているのですが、石膏像を描いている作品では白い表側をそのまま使用していますが、テラコッタを描いている作品では、麻の地をそのまま使うために裏側を表にして貼っています。水仙の作品では、地面の部分は手を入れず、麻の色そのままで表現しました。ただ、麻に直接描くのは思ったより難しかったです。

 

カニエ:描くときは、キャンバスを立てているんですか?

 

戸田:  立てかけたままだったり、下ろしたり、いろいろですが、あまりこだわりはないです。

 

カニエ:5年間アトリエへ通っていた時間と、作品制作していた3週間と、加筆していた時間と、多くの時間が重なっていますね。

 

河西:  会期中の加筆は、いつもはされていないですよね(笑)?

 

戸田:  そうですね、いつもは仕上がった作品を出しています(笑)。今回は何を描くのかとても悩んでいて、直前になってようやく絞り出したイメージでした。最初は普通にテラコッタを描こうかなとも思いましたが、すでに美しく仕上がっている作品を、さらに作品化する必然性を感じなかったんです。だからとても悩みました。そしてようやく植物と裸婦像を重ねて表現しようと思ったのが3週間前だったということです。

 

カニエ:そうだったんですね。図らずも、時間が止まって朽ちていくテラコッタと、今まさに勢いよく伸びていく草花の対比が上手く描かれているなと思いました。

 

河西:  先日、遠山昇司(とおやま・しょうじ)さんという映画監督の方が来てくださったのですが、遠山さんは「写真の引力と、絵画の引力は違う」とおっしゃっていました。写真はこの後消えてなくなるモチーフを扱っていて遠ざかっていく印象を受けるけど、絵画の方は生まれたてでもっと見てほしいと近寄ってくる印象を受けると。

 

戸田:  ありがとうございます。私の中では絵画も遠ざかっていくイメージで描いていました。それぞれ、とても美しいけれど、藪枯らしや水仙などの植物にだんだんと飲まれて消えていくところを描いていましたが、そういった感想をいただけるのはとても興味深いです。

 

カニエ:そこもアンビバレントですね。

 

タカザワ:レクイエムとして歌った曲が残っているようですよね。葬り去るということだけが残っている。それは歴史というか、今日のテーマのひとつでもある「時間」というものを、書き換えるのではなく引き継いで残していくことでもありますね。

  3 

脚注

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*4   BLM(ブラック・ライブズ・マター)運動:アフリカ系アメリカ人のコミュニティに端を発した、黒人に対する暴力や構造的な人種差別の撤廃を訴える、国際的な積極行動主義の運動の総称。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ブラック・ライヴズ・マター

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