戸田沙也加 個展『生い茂る雑草の地に眠る』
開催記念トークイベント
「写真と絵画と彫刻と時間」
タカザワケンジ(写真評論家) × カニエ・ナハ(詩人) × 戸田沙也加(アーティスト)
日 時: 2023年4月28日(金)19:15〜20:30
会 場: KANA KAWANISHI GALLERY
登壇者: タカザワケンジ × カニエ・ナハ × 戸田沙也加
■目次■
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〈本展と前回写真展について〉
河西: 本日はご来場いただきましてありがとうございます。本日は「写真と絵画と彫刻と時間」と題しまして、戸田沙也加さんの個展開催を記念し、写真評論家のタカザワケンジさんと、詩人のカニエ・ナハさんと共にトークイベントを進めさせて頂きます。まずは、戸田さんから作品についてご紹介いただけますか?
戸田: 本日はみなさまお越しいただきまして、ありがとうございます。私は、十年ほど前に女子美術大学の大学院を修了して、その後はペインターとして活動していました。絵を描くときに、いつも資料や記録用として写真を撮っているのですが、それらをインスタグラムに上げていたところ、河西さんからそれらの写真を作品にしたら面白いんじゃないかとご提案いただき、2021年、KANA KAWANISHI PHOTOGRAPHY(西麻布)で写真の個展を開催しました。その時が、こちらのギャラリーで作品を扱っていただく最初の展示で、写真作品での初めての個展でした。
河西: その展示は、タカザワさんもカニエさんもご覧いただきましたね。感想を伺えますか?
タカザワ: すごくドラマチックな写真だなと思いました。画家の方は、構図や光などの基本的な知識がありますし、訓練もされているので、大体写真が上手いんですよ。戸田さんの場合は、その上手さを超えて何かが露出しているようで、それが何だろうと不思議に思ったことを覚えています。
『海を越えて、あるいは夜の向こうに』展示風景
2021 ©︎ Sayaka Toda, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
戸田: ありがとうございます。私は写真について学んだわけではないので、あの時は本当に感覚で撮影していて、たくさん撮った中から厳選したものを展示していました。前回はデジカメで撮っていたのですが、今回の展示では、ほとんどをフィルムで撮っています。フィルムカメラだとデジタルカメラのように簡単には撮れないので、何十枚も撮り直したりと、かなり試行錯誤しました。
今回のモチーフとして選んだ場所は、母校である女子美の立体アートの教授のお父様のアトリエです。その方は10年以上前に亡くなられたので、もちろん私はお会いしたことがないのですが、縁あって、5年ほど前にアトリエに伺わせていただきました。このアトリエがある地域一帯が開発地区に指定されたため、来年には立ち退かなくてはならなくなったそうです。
アトリエを初めて見た時は、とても美しいテラコッタの裸婦像たちが、おびただしい程の数置かれていて、それらが薄暗い部屋の中でただ佇んでいるという光景に衝撃を受けました。私の世代では、彼のようにアトリエにヌードモデルを呼んで制作する作家はほとんどいませんし、このアトリエの取り壊しが決まったことも重なり、過去にあったひとつの時代、裸婦が美の象徴であると謳われた時代の終焉を目の当たりにしているんだと感じました。
5年間このアトリエに行っては写真を撮っていましたが、立ち退きの期日が決まった頃に、タイミングよく今回の個展の話をいただいて、どうにかこの美しい空間を残したいと思いました。裸婦像のモデルとなっている方々と同じ性別の、現代を生きる女性の私が何か証明できるのではないかと思い、作品として扱わせていただきました。
河西: カニエさんは本展の初日に来ていただきましたね。ご覧になっていかがでしたでしょうか。
カニエ: そうですね、まずは前回の西麻布での個展についてですが、タイトルが『海を越えて、あるいは夜の向こうに』でしたね。あの時は、ほぼ全ての作品が夜の屋外で撮られていましたが、今回も多くが「昼間の闇」ですね。
戸田: 前回は、海を超えて日本へ渡ってきたモチーフとして、ロシア人の友人と、バラと、熱帯植物を撮っていて、友人を連れて、夜な夜な花が咲いている場所へ連れ出しては撮って、を繰り返していました。今回の作品もとても暗く見えますが、おっしゃる通り昼間です。このアトリエは、日があまり入らない北側の部屋なので、電気をつけないとかなり暗いんです。
《生い茂る雑草の地に眠る #4》
2023 ©︎ Sayaka Toda, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
《生い茂る雑草の地に眠る #5》
2023 ©︎ Sayaka Toda, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
カニエ: ぱっと見の印象としては、この後ろに広がる闇が、前回の闇の中に浮かび上がる女性や植物たちと繋がっていると感じました。今日のトークイベントに向けて、前回の作品のアーカイブを再度拝見しましたが、ロシアのご友人の方は日本に住んでいらっしゃるんですか?
戸田: 彼女は、日本に住んで9年になります。コロナ禍のここ数年間も、ビジネスビザで仕事を続けているのですが、観光客が減るとロシア人の彼女は街中で目立っていて、彼女の存在がとても異質に感じたんです。それと同様に、バラも本来は日本にはなかったものなのに、今ではとても馴染んでいますし、異国からきた植物も至る所に定着していますよね。
それらは誰かが意図して植えたのではなく、自然に種が飛んでその先に根を生やして自生しているんです。そういった本来であれば異様な光景に誰も見向きもしていないことが、それぞれにシンクロしていてとても興味深く感じました。そこで感じたことを作品にしたいと彼女へ相談したところ、二つ返事で快諾いただいて撮影させてもらいました。彼女もアート関係の仕事をしているのですが、昔から私の活動をとても応援してくれているんですよね。
カニエ: なるほど。彼女もそういった下地があって了承してくれたんでしょうね。タカザワさんからドラマチックに感じたとお話があったように、どこか劇的というか、浮世離れしているように感じました。
このスペースでは、本展の前にアーティストの藤村豪(ふじむら・たけし)さんと私で「よそもの」をテーマにした二人展を行っていたのですが、その目線でみてみると、「よそもの」について一般的に流布しているイメージを変えていくように、私たちがきれいだなだけで見過ごしてしまいがちなことたちを、その裏にあるものまで読み取り、慈しむような眼差しで「彼女」「花々」「植物」を作品にされていたなと思いました。
『海を越えて、あるいは夜の向こうに』展示風景
2021 ©︎ Sayaka Toda, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
Red Rose
2021 ©︎ Sayaka Toda, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
〈作品が持つ意味〉
カニエ:「抽象化」についても伺いたいのですが、今回撮影しているのは、戸田さんの大学時代の教授のお父様のアトリエですよね。それを「とある彫刻家」と説明されていますが、前回のご友人もお名前は出されていなくて、その意図について伺えますか?
戸田: この方は、平戸眞(ひらと・しん)さんという千葉で活動していた彫刻家で、2005年に亡くなっています。今回、私が証明したいのは、このように裸婦像を作り続けた作家がいたという時代の消滅なので、彼個人の作品は素晴らしいけれど、あえて個人名を挙げる必要性を感じませんでした。作者の名前がなくても作品は力強くて美しいので、写真を通してそれを伝えたくて、実はアトリエの壁に作家名が写っていたのですが、そこはレタッチで消させていただきました。
河西: そうだったんですね。
戸田: 前回の彼女も、異国からきた女性ということで撮影していたので、個人のストーリーというよりも、鑑賞者が捉える「異国感」を大切にしたくて名前は伏せました。話は逸れますが、彼女と共に「カンナ」という背丈のある花を撮影したのですが、調べてみると広島では「平和を象徴する花*1」として知られているそうです。というのも、ある記者が広島の原爆投下から1ヶ月後に被災地へいったところ、75年間は草木も生えないといわれた焼け野原にカンナの花が咲いていたそうで、それを新聞の記事にしたことで広島でカンナの花がみんなに知られたそうです。それ以降カンナを植栽しようという動きが西の方では盛んだそうです。
彼女はロシア出身ですが、彼女を撮影した2021年まではロシアからご両親が日本へ来たり、彼女もロシアへ帰国したりと、いつも通り国への出入りができていましたが、昨年2022年にロシアとウクライナの問題が始まったことで母国へ帰れない状況になり、親族と離れた環境で連絡も取れない時期もあったそうです。彼女とカンナを撮影した時にはカンナの持つ意味を知らなかったのですが、撮影した翌年には、意図せず作品が別の意味を持ちはじめたことがとても興味深かったです。
『海を越えて、あるいは夜の向こうに』展示風景
2021 ©︎ Sayaka Toda, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
戸田: 昨年9月末に参加した渋谷西武でのグループ展*2では、カンナの花に埋もれた彼女を描いた作品を発表しました。その時は、異国的ではなく、彼女個人のもつストーリーと、私の想いを込めていたので、あえてその作品に彼女の「olya(オルガ)」という名前をつけました。
olya #3
2022 ©︎ Sayaka Toda
戸田: 私には「必然性」がとても重要で、なぜ作品を通して表現するのか、きちんとした理由がないと制作できないんです。この展覧会も、縁あってアトリエを見させていただいたことから始まって、来年にはなくなってしまうという今制作する理由があったから描けました。
河西: 前回の個展で発表していた、カンナの花の作品はすごく肖像画のようで美しかったですね。
戸田: そうでしたね。でも私は肖像画にあまり興味がないんです。全体的な概念やイメージには興味があるのですが、個別の人物などには興味がなくて。
タカザワ: 前回の写真展ではロシア人の女性を撮影していましたね。写真の場合は、人間がいた方がいいのでしょうか?
戸田: あの作品では、「女性、バラ、植物」をそれぞれ異国からきたものとして等しく扱っていました。なので、彼女が日本人だったら撮っていなかったですし、友人だからという意味もありません。
タカザワ: 象徴として必要だったということですね。絵画でもそういったモチーフの選び方をされますか?
戸田: そうです。私は常に「女性性」や「男女の対比」などを追いかけていて、それを表現するために象徴する何かを描いています。水仙の花の作品も、ドラマチックなように見えて、私が伝えたいのは「壊れて記憶が消えていく」イメージです。奥のスペースに置いてある「nameless body」のシリーズでは、タイトルの通り彫刻のモデルとなっている「名前のない女性たち」の集合体を見てもらいたいという思いを込めています。
nameless body #1
2023 ©︎ Sayaka Toda, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY
『生い茂る雑草の地に眠る』展示風景
2023 ©︎ Sayaka Toda, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY