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『アキラトアリキノアラタナアリタ:現代陶芸としての有田焼』

トークイベント第二弾

「『現代陶芸』をかんがえる:伝統工芸と現代美術の摩擦が生み出す新しきもの 」

アーティストと職人の間の「摩擦」

アーティストと職人の間の「摩擦」

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河西さんがテーマとして使われている「摩擦」という言葉ですが、ここで私が定義する「摩擦」は、有田はガチガチのローカルの中で外部のものが入ってきたとき、地元の人たちは摩擦を感じるわけです。アーティストたちが「こんなものを作りたい」という話をしたときに、おそらく彼らには抵抗があったと思うのですが、その辺の様子がどうだったのかを藤元さんに聞いてみたいですね。必ず「できない」と言われるか、あとは「やりたくない」と言われたかと思うのですが、そういう経験を聞かせてもらえますか?

 

川尻さんという職人さんがいたのですが、彼の反応は「聞いてねえよ」でした(笑)。「そういうような指示は受けてないから」と。そこをいかに突破していくのかというのが課題でしたね。

 

ということは、「できる/できない」以前の回答ですよね(笑)。

 

そうですね。

 

社長がやれと言われればやるしかないと思うのですが、「できない」っていう反応はなかったのですか?

 

ないですね。でも、川尻さんは・・・

 

川尻さんとはそもそも誰なんですか?(笑)

 

彼は窯元の副工場長です。各部門で現場の監督をする人なので、「そういうことをやりたいなら誰々と一緒にやれ」というように川尻さんを通して職人さんを紹介してもらっていました。川尻さんを通さないで僕が直接現場で何かをしようとすると、翌日の朝礼で問題になる、ということもありました(笑)。

 

ただ、職人さんたちは技術的なことにフォーカスしているので、「できない」と言うよりも「こういう風にすればできる」というように言ってくれて、非協力的なわけではありませんでした。ですが、やはり外部の者に対する「何なんだこいつ」と思われるのをクリアすることが課題でした。そうでないと一緒に制作ができないので。ただし、そこに時間がかかってしまってしまいましたね。一度の滞在が3日間ほどと短いので、職人さんたちとの関係作りに1日かけてしまうのはけっこう痛いんです。でも「なぜこれをやりたいのか」を伝えたり、部門間で調整したりだとかが必要で。ただ、そんな間にも窯で焼く時間が刻々と迫っていたり・・・。いろいろな手法を作品の中で使っているので複数の部門をまたぐのが必要になってくるんです。

 

アリキが制作していた窯業技術センター*11と大きく異なるのは、工場ではみんなそれぞれにノルマが課せられているという点です。○○時までに○○個作らないといけない、というように完全に管理された環境下で仕事をしていて、かつ僕の担当者のような人もいないので、僕が自分から動いて川尻さんを通して紹介してもらい、彼らのタスクの中に僕のやりたいことを差し込まないといけないわけです。なので、図々しさと強引さがないといつまでもやってくれないような環境でした。

 

それは、社長からの了解が得られているからできたことなんでしょうか?

 

一応社長からは「いいんじゃない?」と言ってもらえていたのですが、あとは自分でどうにかしなくちゃいけない状況でしたね。とりあえず社長から工場長に話をしてもらったら、「じゃあ川尻のところに行け」と言われ、川尻さんに話したらみんなに呼びかけてもらって、話が進むようになりました。

 

そもそも、アーティストと一緒に何かをやるという体制や風土がなかったわけですね?

 

そうですね。彼らはそんなノルマで管理されたシステムの下にいるので、「物を売ってなんぼ」というスタンスでした。

 

同じ有田焼の窯元でも唯一と言っていいほど珍しい、アーティストとコラボしている会社があります。それが岩尾磁器工業です。ここは陶壁専門の会社なのですが、建築業界では建設費用の何パーセントかを芸術に使うという時期が以前ありまして、画家が壁画の原画を描いて、ビルの内部に陶壁を作るというのがバブルの頃に流行りました。これを専門にやっていたこの会社は、アーティストたちがどんな人たちなのかをわかっているし、このプロジェクトを担当する専門スタッフもいたわけです。

 

「2016/ project(ニーゼロイチロク プロジェクト)」*12というのがありましたが、このときは主にオランダから16人のデザイナーが有田に行き窯元とのコラボレーションをしました。その時には色々な軋轢があったと思うのですが、(客席にいる同プロジェクトの関係者、浜野さんに向かって)例えばどんなことがありましたか?

 

このプロジェクトではミラノサローネに向けて16人のデザイナーとコラボして約380品を制作したのですが、「何が難しかったか?」と聞かれると、全部難しかったです(苦笑)。陶芸の経験のないデザイナーからの「こんなことをしたい」という要望を元に、窯元さんたちがそれをどう実現するかを考えて試行錯誤するという繰り返しでした。ほとんどのことが初めての挑戦でしたので、全てが大変でしたね。結局このプロジェクトでは2年半かかりました。

 

例えば、コミュニケーションには苦労しましたね。もちろん言語の壁もあったのですが、やりたいことを伝え、形にしてもらってOKを出してもらってまた次のステップに進む、といのが大変でした。

 

レジデンスプログラムでは、メディエーターというか、双方の言っていることをある程度理解してコミュニケーションの仲介をできるような人がいないと空中分裂してしまいます。どちら側にもそれぞれやりたいことがありますので、それを上手くチューニングしないといけないのが、実は一番難しいんじゃないかと思います。

 

コーディネーターという立場の人が、地元の人と彼らからすると何だかよくわからないアーティストをつなぎながらアーティストの意見を取り入れていくことで地元の工房とのコラボレーションや学校でのワークショップが実現するのだと思います。

 

どの現場にも共通していると思うのですが、人が違えばものづくりにおける言葉の違いがあるので、間に誰かが入ってうまく通訳しないといけないのだと思います。

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浜野:

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藤元作品の制作過程での「摩擦」

藤元作品の制作過程での「摩擦」

「2016/ project」では16の組み合わせがそれなりにうまく形になったのは、窯元に危機感があったからこそですよね。本当はやりたくないけど、やらないとダメになるかもしれないということで、「この人たちに賭けてみよう」と思っていたのではないでしょうか。

 

藤元さんの場合は窯元さんからは期待されていましたか?

 

僕は期待されてなかったですし、邪魔者に思われてましたね(苦笑)。

 

でも、状況は少しずつ変わったんじゃないですか?

 

まあ、顔が通ってきたというか、4年目くらいでようやく名前を覚えてもらえるくらいにはなりました。

 

今回展示している本焼き後に呉須をかけた作品については感心されてたんですよね。

 

そうですね。その時は工場が少し湧きましたね。

 

なんとなく僕は現場の雰囲気は想像つくのですが、皆ノルマをこなして給料をもらっている身だから、ノルマだけで精一杯なんですよね。本当は「自分も創作したいな」という気持ちはどこかであると思うのですが、そんな膠着した環境の中によそ者が入ってきて、好き勝手にやられて煙たいとは思っているかもしれません。でもそれが普段とは違う珍しい風景で、時々驚くようなことを見せてくれる。いくら古くからある工場とはいえ、そんな刺激がものづくりには絶対必要だと思いますね。だから、そこに摩擦はあったと思いますけど摩擦から生まれるものもあるのではと思います。

 

自分みたいなよそ者がやりたいことって大体「やってみないとわからんばい」っていうことだと思うんです。で、その「やってみないとわからないこと」に対する抵抗感をクリアするのにすごく時間がかかりましたね。でも、最近では「藤元が来るとやってみないとわからないことしかやらない」という認識が定着してきたので、「やってみないとわからないけど、やってみるか」というスタンスに変わってきました。それが大きな進歩でしたね。そもそも「できるかわからないものに何でわざわざ窯と時間を使わないといけないんだ」という考えが根本にありますから。

 

職人さんたちと話すときのコツを見つけたのですが、それは「作りたいものについて具体的な話をする」ということでした。「どうすればこういうものを作れるようになりますか?」だけではなくて、「こういう風にすれば僕はできると思うんですけど」と、ある程度の自分の考えを提案するんです。そうすると職人さんからは「このくらい収縮するから、この方法じゃなくてこっちの方がいい」という具体的な答えが返ってくるんですよね。そうすると僕のアイデアだけではなくて職人さんの提案も加えられるので、彼らも適当にできないわけです。なので制作する中でそういう状況をどんどん作っていきました。

 

それは、技術や経験、知識で藤元さんに貢献しているということですね。

 

そうです。例えば今回展示している壺などを3つ合体させている作品《Merging_vase, vase, vase》では、三次元的にカットを入れていかないといけないのですが、そんなことを誰もやったことないんですよね。なので「こういう風にめりこめせたいんですけど」と話をしたら、職人さんは「えー」とため息をつくので「じゃあ俺がやってみますよ」と言って刃の使い方を教えてもらいながら作業をしていきました。すると職人さんが「ちょっと待って。新しい刃を作ってくるわ」と言って作ってくれました(笑)。「これは切れ味よくないとダメなんだよ」なんて言いながら。

 

結局「一緒に解決していこう」という雰囲気を作るのが大事で、そうすれば職人さんにはノルマというやらなきゃいけないこともあるけど、僕の作品もやらなきゃいけないことに変わっていくんですよね。

 

職人は自分の技術に自信を持っていますが、生産性や今やっている仕事が最終的に何になるかはあまり考えていなくて、技術そのものに面白さを見出しているのだと思います。それが有田焼を進化させてきた面でもあります。

 

「有田焼は常に新しい技術を取り入れてきた」と鈴田さんの著書にも書かれていましたが、そういう風土があったからこそ、先ほど話した僕のやり方が通用したのかなと思います。

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​———————————————————————————————————*11 佐賀県窯業技術センター:http://www.scrl.gr.jp/index.php

*12  http://www.2016arita.com/jp

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