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『アキラトアリキノアラタナアリタ:現代陶芸としての有田焼』

トークイベント第二弾

「『現代陶芸』をかんがえる:伝統工芸と現代美術の摩擦が生み出す新しきもの 」

現代における有田焼の定義

現代における有田焼の定義

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KK:

じゃあ有田焼の定義って何なんだって話になりますよね。まあ、有田で焼けば有田焼になるのかな(笑)。

 

産地表示の問題が一時期話題になりましたけど、有田焼は元々「伊万里焼」と呼ばれていて、鉄道で運ぶようになってから有田焼と呼ばれるようになりました。その時、有田で作られたものだけでなくその周辺も一度に運んでいたので、有田とその周りで作られたもの全てが有田焼なんですよね。長崎の波佐見にある窯元が、デパート等から頼まれて商品を作っているのですが、その商品を有田焼として販売して良いかと私に尋ねてきたことがありました。でも、実際にお客さんがよく聞いたら実際は長崎の波佐見焼ということがわかってしまうので、「産地の不当表示じゃないか」と言われ、コンプライアンスの問題になりますよね。昔は適当にやってきたわけですけどね(笑)。有田焼の定義は何なのかと業界の人たちは私に聞いてくるのですが、昔は幸せな時代で有田の原料を使って、有田の人たちが有田の地で作るという三条件が揃っていたので簡単でした。ですが今は有田では原料が採れないから天草の原料を使ってます。また、有田以外の業界の人たちが参入しているので、全部が全部有田の人が作っているわけでもない。そして、有田町は土地が狭いから隣町で作っていたりもしています。こんな状況だと定義付けが難しいですよね。

 

今は有田焼であるということを表示しないのですか?例えば有田の窯元で作られたものでも、素材が有田の外から来たものであればあえて有田焼とは表示しないのでしょうか?無印良品の商品の中には有田で作られているものもあると思うのですが、有田焼であると表示していないですよね?それは、企業との取り決めによるものなのですか?それとも今でも議論に上がることなのでしょうか?

 

無印良品は何で表示しないんだっけ?

 

どこで作ったかを表示しないだけだと思いますね。

 

最近、波佐見焼のシリーズは見かけましたね。

 

もともと無印は窯元名を表示せずに商品を販売しているので、有田焼だけではないようですね。

 

5月にある有田陶器市では、実は有田で生産されたものは全体の4割ほどで、残りの6割は別の場所で作られたものなんですよね。この事実はあんまり広めない方がいいんでしょうけど(笑)。産地が見えなくなってきているのが問題ですよね。そこで、有田焼を販売しているところは「有田焼の店」というのぼりを置いてます。あとは、組合の方で「有田焼」と書かれたシールを作って貼るようにしていたり。でもその中にも生地を長崎の波佐見で作っている窯元がたくさんあります。

 

組合認定ということですね。松本さんの会社ではこの組合には入っていないんですよね。どうもやりづらいらしくて。なので町からは総スカンを食らっていると言っていました。

 

有田の人たちは、他の人に有田の名前を勝手に使わないでほしいという考えがあります。でも周辺の人たちは「全部有田焼として売っていった方がいいじゃないか」と考えているわけです。そうすると産地表示の問題が出てくるので定義しようと思うけれど、あまりにも産地が複雑なので定義しきれない、というのが現状です。

 

ニュースキャスターの小谷さんが有田にいらしたことがあって、私に「有田焼の良さは何なのか」と聞いてきた時に私は有田の伝統や歴史について話していったら、けっこう厳しいツッコミが入りまして。有田焼の制作方法について、「手作りと型で作るのとでは実際出来上がるものはどのように違うのか?」と聞かれ、「手作りだと微妙な膨らみが生まれたり・・・」などとグダグダと答えていたら「よくわからない」と言われてしまいました。手描きとプリントの違いについても聞かれたのですが、ビシッと簡潔に答えられず、グタグタになってしまって。結局そのグダグダのまま撮影されてしまいました。これは敗北感を味わった経験ですね(苦笑)。

 

でも、面白い議論になっていると思いますね。何を定義とするのかというのは現代アートも同じで、定義の材料となるのは作品の素材ではなく、作り手でもなくコンセプトであったり。そこは有田焼とも共通するところだと思います。それこそマルセル・デュシャンのレディメイドの作品は、大量生産品を組み合わせることで「これはアートだ」としたわけですが、今までの手で作られたものにかかっている神がかったオーラみたいなものを壊したことで、そこから現代アートが進化してくるんですけど、今のお話を聞きながら、アートの流れと同じだなと思っていました。

 

やっとコアな話に入ってきましたね(笑)。何をもって有田焼とするのかを決めきれない限り、有田焼は本当のスタートを切れないのだと思います。

 

私自身は有田焼を磁器としての特徴を理解していると思っていますが、他の人たちは手作りと型で作られたものの区別がつかないのが大半なんですよね。目の肥えている人であれば差がわかるのですが、どこがどう違うのかを説明しようとすると、内容が細かくなりすぎて説明しようがないんですよ。それでは答えにならないから、私はずっと考えていたわけですが、結局、遠くから眺めると「なんだか、有田っぽい」ということなんじゃないかなという答えに行き着きました。

 

(笑)

 

やっぱり、有田焼も京焼きや波佐見焼も、相対的に「こういう違いがあるんだな」ということが遠くから見るとわかるんですよね。近づいて見ていって「ろくろで作られた物と型で作られたものの違い」みたいな話になってしまうと、素人からすると違いがわからなくなってしまうんですよね。

 

さっき話に出てきたマルセル・デュシャンくらいであれば私も知っているのですが、去年フィラデルフィアに行った時に美術館で彼の《泉》を見ることができました。ずっと前に図版で見ていたものが間近で見られて感激したのですが、後で調べたらあの作品っていくつもあるんですね(笑)。

 

しかも、何回か紛失しているんですよね。その度に作家が型を指定して「用意しといて」という感じでいくつも作られています。

 

私は産地に関わっているから、頑なな職人さんたちと一緒に頑張ってきたのでこの伝統を潰すべきではないと思っています。でも、日本の伝統的な特産品というのはアーティストや海外の人たちが貴重だと思ってくれているから、現代でも存続しているものだとも思います。そして、伝統的なものでも形を変えていかないと生き延びていかないですよね。そして大事なのは、作られたものを買ってもらうことです。

 

第一回目のトークの時でも同じ話になったのですが、結局、存続の話になるとマーケットの新規攻略が大事で、「今まで通り伊勢丹で販売できれば良い」というような考え方以上の地点に到達しないといけない状況にあるのだと思います。今は国内での販売や、海外でもヨーロッパなどをメインに進めているような方向性ですが、第一回目では「ドバイで売ったらどうか」など、今まで売ってこなかった全く別のエリアで販路を開拓するという話に行き着きました。

 

僕の作っているものも、美術のギャラリーで売るだけのマーケットでやっていくべきなのか、それとも別のところでも売っていくべきなのかを考えています。僕の場合は、通常の陶器のマーケットで売るとすれば値段も違いますしコネクションも持っていないので全然売れないと思いますが。とにかく、有田焼において「作ること」自体は高い精度でずっと続いていると思うのですが、出来上がったものをどうやって売っていくのかが問題ですよね。実際、4年間有田に通っていて、自分の制作していた以外の窯元さんは革新的な試みをあまりやっていないように思えます。

 

他の窯元も「このままではダメだ」と思ってチャレンジはし始めているとは思いますが、うまくいっていないのが現状ですね。

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デザインにおける流行

デザインにおける流行

明治の作品のテンションが高いのは、有田焼を買ってくれるヨーロッパの人たちのテンション*18が高かったからなんですよ(笑)。明治の有田焼が売れたのがアール・ヌーヴォーの直前で、その後流行はアール・デコ19に移っていきます。ですが、現代のヨーロッパの人たちはシンプルなデザインや機能的なものを好まれ、装飾が彼らの趣味ではなくなってしまいました。そうして現代の日本のデザインやヨーロッパのバウハウスも生まれたわけですが、私からすると「ちょっと前まで装飾が好きだったじゃない。明治の有田焼を買ってたじゃない」と言いたいわけです。ヨーロッパ人のテイストの根底にはロココ*20があるのですが、モダニズム運動があったことでアール・ヌーヴォー以降にころっと好みが変わっちゃったんですよね。ですが、この好みの変化は単なる歴史の一端で、最終的には元の装飾志向に戻ってくると私は思っています。歴史は繰り返してますから。「昔は派手なものが好きだったじゃない。あんたたちのテンションが下がっているだけでしょ」と言いたいです(笑)。

 

それはおっしゃる通りだと思います。やはり歴史は巡るので、今の延長線上だけではないと思っています。とはいえ歴史が僕のやっていることの文脈に戻ってくるかはわかりませんが。

 

装飾がデザイン界では悪とされていますが、大量生産するにはモダンでシンプルな方が作りやすいという風潮がありますね。

 

それはグローバリゼーションや合理主義が影響していると思います。ただ、現在はグローバリゼーションの反動が起こりつつあって、みんなが予想できない方向に進んでいますよね。例えばトランプが大統領になったりと。だから、デザインの世界も今の時点だと次にどういう動きになるのかは読めないんじゃないかなと思います。

 

まだ展示をご覧いただけてない方もいらっしゃると思いますので、トークはここまでにしてゆっくりご覧いただければと思います。それでは、ありがとうございました!


 

    

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文・編集/折笠純(KANA KAWANISHI GALLERY)

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*18  https://ja.wikipedia.org/wiki/アール・ヌーヴォー

*19  https://ja.wikipedia.org/wiki/アール・デコ

*20 https://ja.wikipedia.org/wiki/ロココ

 

    

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