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『アキラトアリキノアラタナアリタ:現代陶芸としての有田焼』

トークイベント第二弾

「『現代陶芸』をかんがえる:伝統工芸と現代美術の摩擦が生み出す新しきもの 」

AITでのアーティスト・イン・レジデンスプログラムについて

AITでのアーティスト・イン・レジデンスプログラムについて

KK:

堀内奈穂子

(以下:NH):

先ほど藤元さんが現代陶芸という定義に対する疑問について話されていましたが、堀内さんが現代陶芸作家としてイギリスから2名の作家を招聘されたご経験がありますので、その時の話をしていただけますでしょうか?

 

ではここからは、お時間をいただいて私から話を進めていこうと思います。私の所属するアーツイニシアティヴトウキョウ[AIT/エイト]では、MAD*2という現代アートの学校とアーティスト・イン・レジデンス、あとは企業と連携して行うプログラムに取り組んでいます。私は有田焼に精通しているわけではありませんが、アーティスト・イン・レジデンスに関わる中で有田にアーティストと一緒に視察に行ったという経緯がありますので、そのプロジェクトのストーリーをお話しようと思います。

 

MADでは現代アートや社会について振り返りながら毎年カリキュラムを組んでいくのですが、2015年には「ホリスティック」というテーマで講座を作りました。「ホリスティック」はよく耳にする言葉でもあると思うのですが、要は「身近な生活・環境・食を考えながら生きること」と訳されます。手工芸においては生活様式や日常の中の美を起点に歴史が紡がれていきました。その中で、工芸と現代の表現や素材をどのように融合しているのかを検証しようということで、レジデンスを起点に現代陶芸をテーマに何年かに渡ってやってみようというアイデアが生まれました。

 

AITはレジデンスを行う中で、いくつもの財団や海外の文化機関と提携することで様々なプログラムを行っているのですが、その中でここ6年ほどは文化庁から助成金を得てプログラムを行っています。そうすることで、AIT側から海外の機関の中でパートナーとして組みたいところを選ぶことができます。そこで選んだのがカムデン・アーツ・センターでした。ロンドンにある名だたるアートセンターです。19世紀からある図書館の建物を使用しており、歴史的な建築の特徴をそのまま残しながらアートセンターにした施設です。

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カムデン・アーツ・センター

この施設でもレジデンスプログラムを行っているのですが、陶芸の大きな工房を持っていて、割と陶芸に特化した作家をレジデンスプログラムに招聘することが多かったり、近隣の学校のために教育プログラムとして工房を解放しています。このように現代陶芸や陶芸の歴史に着目して活動している施設ですが、もちろん、それだけではなく様々な作家の展覧会を行っていて、流行に流されることなくキュレーターたちがそれぞれにリサーチしたそれぞれの作家を紹介する場となっています。このカムデン・アーツ・センターとのつながりができたことと、アーツ・アンド・クラフツ運動や柳宗悦、ウィリアム・モリスとバーナード・リーチなど、日本とイギリスの陶芸には互いの交流の歴史があったということで、イギリスのアーティストを日本に呼んでレジデンスを行うことになり、2015年にキュレーター1名とアーティスト2名を招聘しました。


招聘されたキュレーターがカムデン・アーツ・センターのジーナ・ブエンフェルド*3で、アーティストの1人が若手作家のジェシー・ワイン*4です。彼は器などの形に限定されない作品作りをしており、生活や現代の社会を眺めて生まれてくる形を作品化させています。もう一人がキャロライン・アシャントル*5というイギリスで活動しているフランス人作家です。彼女はテキスタイルと陶芸のスキルを融合させてインスタレーションを発表しています。このプログラムではキュレーターのブエンフェルドが先に一人で来日し、一旦帰国してから再度作家と共に日本に滞在したのですが、二回目の来日時に一夜限りの展覧会を企画しました。彼女自身が日本とイギリスの陶芸の伝統や歴史を俯瞰した上で、能や歌舞伎などの日本の伝統的な舞踊にある所作と、陶芸を制作する際の動きなどの身体的な共通性だとか、そこから発展したコンテンポラリーダンスなどのパフォーマンスを踏まえて検証し、この展覧会は企画されました。それが「廻る世界の静止点で」というもので、SHIBAURA HOUSEというスペースで展示、キュレーターと作家の3名によるトーク、そしてパフォーマンスが行われました。パフォーマンスは、水がたっぷり入った壺を頭の上に乗せ、その重さを抱えながらバランスを保ちながら踊り、水がこぼれて彼女の衣装にかかることで衣装の色も変わっていく、という内容でした。

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パフォーマンスの様子

作家の2人が日本で制作する中で、彼らの視点の面白さを感じたことがありました。他のアーティストたちも同じなのですが、日本ではみんなマスクを着けていることに二人は驚いていました。最初はどういう目的で着けているのかを知らなかったのですが、風邪の予防や相手に風邪を移さないためなど、ホスピタリティの気持ちのためであることを二人は知ることになります。そこからマスクの形をした陶芸作品が生まれたりなど、日本に来てから印象に残ったモチーフがそのまま作品化されていきました。

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ジェシー・ワインによるマスクをモチーフにした作品

2017年には再度カムデン・アーツ・センターとパートナーシップを組み、エヴァ・マスターマン*6とジャクソン・スプラーグ*7という2名の作家を招聘しました。マスターマンはカムデン・アーツ・センターの中でも教育者として陶芸を教えるなど、素材や制作のプロセスに精通しているので、日本でトークをしてもらうことによって日本の伝統的な陶芸とイギリスでの表現を検証する機会になりました。彼女の作品の特徴は作品の形や置き方の不安定さです。

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Crackpot, 2016

スプラーグは男性作家です。写真ではカラフルなオブジェと一緒に作品を展示しています。この花瓶のような作品に実際に水を入れ、花を挿してギャラリーに展示することで、ギャラリーのスタッフが水を替えたりものを動かすことによって作品を機能させなければいけない、という状況になります。日常と切り離された場所ではあるのですが、まるで家にいるかのように作品をケアしなければならないことで人と作品との身体的、また精神的なつながりが生まれるのです。

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The Artists Wife, 2015

東京は情報や人が集中している場所なので、レジデンスをするとリサーチがしやすかったり人間関係のネットワークを広げていきやすいのですが、実際に日本に滞在する作家の多くは2週間ほどの期間の中で地方に旅をしてリサーチをしています。この二人の作家も陶芸の歴史を辿るような旅で様々な場所を訪れたのですが、その中で有田でリサーチをしました。その頃、オランダと佐賀県が協同でレジデンスプログラムを始めていて、佐賀県窯業技術センターでオランダのアーティストが滞在制作することで、衰退しつつある産業で現代の表現を組み合わせて何か新しいものを作れないかという試みを行っていました。それを聞きつけて、作家2名と一緒に視察に行くことにしたのですが、施設でのレジデンスプログラムに携わっていたスタッフの石澤さんのおかげで、土がどこから掘り出されて有田焼が生まれているのか、どのような流れを経て有田焼が作られてきたのかなど、有田の歴史と現代を体系的に学ぶことができました。視察の際、窯元さんにお邪魔しつつ窯業技術センターでは陶芸の技術が現代でどのように活かせるかを研究する場があったり、有田焼の次の世代を担う人材育成の場所というのも見られて、過去の歴史から始まり、現在に至るまでの道筋をしっかりと見ることができました。

 

イギリスではアーツ・アンド・クラフツ運動があったとはいえ、品質の悪いものが大量生産されたという歴史があることから、陶芸を含めた工芸の歴史に対するリスペクトが薄く、現代アートにおける陶芸の方がプライオリティが高いという状況があります。一方有田では、まず歴史や伝統に重きが置かれ、人間国宝と呼ばれる人たちの存在が担保されている、というベースがあった上で現代における陶芸を考えています。こういった歴史に対する敬意、態度、所作がイギリスにおける陶芸とは全く違うことに作家の二人は驚いていました。

 

イギリスの作家で例を挙げますと、ターナー賞を受賞したグレーソン・ペリーという作家がいます。私の大好きな作家なのですが、彼はもともと陶芸職人で、非常に高い陶芸の知識と技術を持っていながらも、モチーフとして使われるのは戦争など、社会を批判するようなモチーフを使って作品を制作します。遠くから見ると伝統的な大きな壺なのですが、よく見ると新聞の4コマ漫画のように風刺的なモチーフが描かれています。こうして彼が登場してきたことによって、現代アートにおける陶芸の技術が華やかになっていきました。

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We’ve Found the Body of your Child, 2000

このような現代的な表現をした作品の方が高く評価され、昔の作品に対する尊敬がないということをマスターマンは繰り返し言っていました。彼らが日本で会った作家たちの中で特に感銘を受けていたのが桑田卓郎*8さんです。この作家は先ほどの現代陶芸の議論にも関わってくる人物だと思います。桑田さんも陶芸の高い技術を持っているのですが、色や質感の使い方が特徴的で、おどろおどろしい色使いをされる方ですね。

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《茶垸》2017

「海外ではお茶の歴史などに捉われずに色や素材が受け入られて作品が売れていくということに新鮮さを覚えて、海外の現代アートシーンに乗っていくことを意識するようになった」と桑田さんはインタビューでおっしゃっていました。一方で、伝統を否定しているわけではなく茶道の作法や歴史、所作そのものが作品には込められていると話していました。そのため、彼は伝統と現代的な表現のどちらも取り入れた作家の一人なのかなと思います。

 

これは余談なのですが、AITではレジデンスプログラムの他にも児童養護施設など複雑な環境下にいる子供たちとアーティストたちをつなげて学びながら一緒に作品に触れていくプログラムを行っています。今回招聘した2人の作家たちは教えることにも長けていて、かつ素材の使い方を熟知しているので、ワークショップを2人にも企画し、実施してもらいました。子供たちが道路や身近にあるものの模様を粘土に押し付け、石膏で型取りをして、色を塗って焼くという工程で作品を制作していきました。

 

現代陶芸のはっきりとした定義というのはわかりませんが、陶芸の歴史や伝統に対する学びを経て、それらを踏まえながら現代の議論をどのように作品に組み込んでいくのかを考え続けていくというのが2名の作家に共通した視点でした。また、海外から来る作家たちは、陶芸に限らず染色、お香、竹細工など日本の伝統工芸の技術や素材に対して非常に高いリスペクトや関心を持っていることを有田での視察を通して感じました。また、伝統からモチーフを借りて自分たちの表現に還元していこうという思考が高いです。実際、過去にオランダからレジデンスで招聘されたメルヴィン・モティ*9という作家も江戸小紋という古い染色技術の職人さんとのコラボレーションを通して新しい作品を制作し、森美術館*10で展示をしていました。

 

有田での視察で見てきた工房の風景や有田焼の歴史、プライドは作家にとって大きなインスピレーションであり、自分たちの作品制作に取り入れていく素材がザクザク見つかる場でした。また、有田の人たちから話を聞くと、技術も工房もあるけれど、どのように新しいコンセプトをプラスして世界に発信していけばよいか悩んでいることがわかりました。このような場でレジデンスプログラムを通して双方がつながることの意義は大きく、今後さらにそのメリットが大きくなるのではと思っています。そこで現在AITでは、有田のリソースと東京で活動する私たちの情報リソースを組み合わせて、何か新しいプログラムを生み出せないかと考えているところです。

海外における工芸の地位の低さ

海外における工芸の地位の低さ

KK:

YS:

イギリスでは陶芸の歴史の地位が低く見られているということを初めて知り驚きだったのですが、鈴田さんにとって、こういった海外の事情と比較した上での有田焼のあり方というのは意識されていましたか?

 

ヨーロッパ圏では西洋美術の中で絵画や彫刻がファインアート、工芸はマイナーアート、または劣勢アートと言われます。その中でウィリアム・モリスなどの時代からあまりに酷い工業製品が出回ってしまったことから、美術家が「何とかしないと」ということで生まれたデザインが現代の基礎になっています。

 

元々どの国でも工芸は低く見られがちで、万博でも屏風などを美術品として出品しても、「これは作品ではなくて家具だ」と言われ家具のコーナーに移されるということもありました。それは歴史的な流れの一つで、それがあるからこそ日本は工芸を捨てて芸術に近づいていかないといけないのだと思います。ただしあくまで陶芸家は工芸の一端なので、明治では純粋な芸術家にはなれなかったわけです。そんな経験を積み上げていって、やっと陶芸家たちは芸術家になれたのです。ただ、産地がその流れを受け止めるのは難しいことでもあります。有田焼は元々分業でやってきましたし、白磁を作るろくろの職人というのは存在しなかったんですよね。形作りをするのは模様を描く人の下働きの人たちで、単なる生地屋さん。でも戦後に白い形の造形が芸術として認められるようになってから、有田焼で白磁の作家が初めて生まれたわけです。なので、自分一人だけで完結した作品というのは本来ありませんでした。その辺が有田らしいところであり、そこから陶芸家が芸術家として変化し、認められていく過程が明白なわけです。そんな風に産業として成り立っていき、職人さんたちは芸術家にいつの間にかなっていきました。ただ、工業としても芸術としても両方とも曖昧になっていくと「ここで何とかしないと」という危機感が生まれ、本来であればデザイナーやアーティストを受け入れたくない土壌だけど、新しい試みを始めていっているのです。

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