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  岩根愛個展『ARMS』

石内都×岩根愛対談

夏じゅう繰り広げられるハワイのボンダンス

夏じゅう繰り広げられるハワイのボンダンス

 

石内:

岩根:

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岩根さんは3ヶ月間ハワイに滞在されてあちこちのボンダンスに行ったとのことですが、ボンダンスってそんなに長く間催されるものなのですか?

 

ハワイには約90ヶ所のお寺があるのですが、夏の3ヶ月間、ボンダンスがそれぞれのお寺で順繰りで開かれます。

順繰りでやるんだ。

 

皆がすべてのボンダンスに参加できるよう、開催する日にちを振り分けて、お盆の時期に関係なく行われます。ボンダンスはお寺としても一番お金を集められる場で、そういう意味でもとても大事な行事です。ハワイでは一つの町に仏教の全宗派のお寺が揃っているのですが、宗派関係なく皆さん仲が良くて、それぞれの町の中でお寺たちが宗派を超えて手伝い合いながらボンダンスが行われます。コミュニティセンターみたいなイメージですね。日系のコミュニティの中で「私はこの宗派に属しています」ということは明確なんだけれど、異なる宗派同士で「私たちの宗派が一番」などと張り合うのではなく、助け合いながらやっていくのがボンダンスですね。

お盆のための踊りではないんだね。

 

お盆の期間とは関係なく開かれますが、必ずお寺で法要をしてから踊ります。

何ヶ所くらいで行われるものなの?

 

先ほど約90ヶ所のお寺があると言ったのですが、ボンダンスをやらないお寺もありつつ、金・土の二夜連続でやるお寺もあるので、だいたい延べ90夜開催されますね。私はいつ全制覇できるだろう、と思っています。

すごい規模だね。日本とはレベルが違うね。

 

そうなんです。夏の間、3ヶ月間も毎週末のようにずっとみんな踊っているんですよ。マウイ島は小さいから太鼓団体が一つしかないので、その団体は3ヶ月間休みなく毎週末太鼓を叩き続けます。一方ハワイ島の東側には「大正寺太鼓」と「ヒロボンダンスクラブ」という太鼓団体の二大勢力がいます。毎週末のようにものすごいテンションで太鼓を叩いて踊りきるって相当大変なことだから、私からすると「休みは欲しくないのかな」と思ったりするのですが、彼らにとってはより多くのボンダンスを制することの方が大事なんです。

そう考えると、もはや日本の盆踊りとはまったく別物だよね。

 

そうなんですよ。今お話ししたハワイ島のエピソードは少し特殊な事例ではありますが。

あなた自身は日本で盆踊りをやったことはあるの?

 

私は東京の東中野で育ったのですが、都内だと公園のお祭りとして「東京音頭」などを踊っていた記憶はありますね。あとはなぜか「炭坑節」とか。東京も移民の街なので、色々な県からやってきた盆唄で踊りますが、あくまで「夏祭りの一つ」という認識ですよね。

東京はそんなに盛り上がっていないもんね。

 

ハワイに行くまで盆踊りがこんなにグルーヴ感あふれるものだとは思いもしませんでした(笑)。曲は基本的に録音したものを流しますが、30曲ほどある全国の盆唄に合わせて、皆が一心不乱に踊るんですよ。

グルグルと輪になって踊るんでしょ?

 

そうですね。それぞれの曲でまったく振り付けが違うのに、みんな全部の振り付けを完璧に覚えていて、踊れるんです。「踊れることが格好いい」とされていて、踊りが上手な人たちはドヤ顔で真ん中の輪で踊りますが、若い人ほど率先して踊っていますね。

順位づけみたいなことはしないの?

 

順位づけはしないのですが、一番真ん中の輪には外側の輪の人たちの見本となるようにボンダンスの会の人など、すごく踊りが上手い人でなければ「この輪には入るな」という雰囲気はありますね。知らずにその輪に入ったとしても追い出されることはありませんが、空気感はそんなところです(笑)。

私はこれまでボンダンスについて知らなかったのですが、脈々と歴史が現代へとつながっているわけですね。もちろんこれまでボンダンスをテーマに撮影をしてきた写真家は他にもいると思いますが、こうした歴史の流れを汲んだ上でここまでプロジェクトとしてまとめられたのはすごいなと思います。ところで、ハワイの日系移民は、十文字美信も撮ってますよね。

写真集『KIPUKA』の中にある、大仏を写した写真は、先ほどホームレスがお寺の手入れをしているとお話したラハイナ浄土院で撮られていますが、十文字さんの写真集『蘭の舟』にもこのお寺が出てきます。大仏も本の冒頭に登場しますね。ラハイナ浄土院に原先生という50年間ハワイにいらっしゃる住職がいらっしゃって、御本人も『KIPUKA』の中に登場しますが、原先生も十文字さんを案内したと言っていました。「あの方はすごい人ですね」と言いながら、納骨堂に案内した際に十文字さんが急に天井を撮り始めたことなど、色々なエピソードを話してくれましたね。

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『KIPUKA』より

石内:

岩根:

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写真は「自分がその場所に行った」という証拠の一つだから、その場所との出会いを通して得たことを記録して、それを作品化していくことは重要だと思います。そしてやはり、岩根さんの個性が写真に表れているなと思います。それは男が撮ろうが女が撮ろうが、関係ないと思うんですよね。

 

そうだと思います。私自身も女であることを意識して撮ったことはないですね。

 

今まで話してきたみたいに、私がやってきたことを話し始めると説明したいことがたくさん出てきてしまうのですが、だからこそ写真集にはことばを入れたくないなと思っていました。造本設計をしていただいた町口さんには、私がやってきたことをなんとか写真だけで伝えられるように考えていただきました。本を横から見ると複数の黒いページが真ん中にあるのがわかりますが、そこを境に前半がハワイ、後半が福島で撮られた写真です。黒いページには先ほどお見せしたパノラマ写真が載っています。ハワイのお墓の写真、それから原発事故後で避難区域に指定されている福島の双葉町で撮られた写真が、それぞれページをまたいで載っています。

 

そして、5月下旬に刊行されたばかりの『キプカへの旅』は、『KIPUKA』が形になっていく上で私が通ってきた旅路が記されています。この本にもパノラマ写真が載っていますが、こちらは観音開きになっています。 『KIPUKA』と同じハワイのお墓の写真と、反対側には福島で撮影された写真が載っています。

岩根さんは文章もなかなかうまいし、写真と文字では伝わり方が違いますから、こういうかたちで本にまとめられたのは良いと思いますね。

 

ありがとうございます。

ふと思ったのだけど、今日のお客さんには男性が多いね。

 

確かにそうですね。

私がトークイベントで話すと、いつもは女性の方ばかりがいらっしゃいますけどね。ちょっと珍しいなと思いました。

「写真におけるトーン」、「被写体との距離感」

ここまで名言や興味深いエピソードがたくさん出てきましたので、皆さんからご質問も出てくるかなと思います。まずは皆さんから事前にいただいた質問の中からお二人にお答えいただければと思います。「写真のトーン、階調、質感で重視していることはありますか?」というご質問を石内さんに頂いていますが、岩根さんにもお答えいただければと思いますが、いかがでしょうか?

「写真におけるトーン」、「被写体との距離感」

 

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トーン、階調、質感と質問にあるすべての要素が大切ですね。先ほど言ったように撮影は苦手だけど現像に関しては異常なので、全部重要です。岩根さんは?

 

私もそう言いたいところなのですが(笑)、主題によって意識する点は変わりますね。盆踊りは夜に行われることが多く、真っ暗な中で撮影をすることになります。特にハワイでは使われていている照明器具の多くが古いものなので、闇の黒さをどう写真に出すかを考えながらトライを繰り返しました。今回展示している 〈ARMS〉では、真昼に真上から降り注ぐ光を強調したくて、フィルムで撮った写真を増感現像をすることでコントラストを上げています。

増感現像?

 

ネガを増感させています。今回展示しているのは撮影した当時に制作したプリントですが、もし今使われているペーパーに同じネガでプリントをしようとすると、もう少し光が強くなってしまいます。

今はデジタルで撮影しているの?

 

そうですね。『KIPUKA』も最初はフィルムで撮影していたのですが、ボンダンスは夜の撮影が多く、デジタルの方が扱いやすかったので。

次のご質問ですが、お二人が「写真家になろう」と思った時ってありますか?

 

私は一度もないですね。私は「写真を始めよう」と思って始めたわけではなく、たまたま暗室道具が手元にあって、暇でやることが何もなかったから始めたようなもので。道具というのは、使わなければゴミになってしまうけれど使えば立派な機材ですからね。なんとなく「使ってみよう」と思って始めただけで、あまり「写真家になろう」なんて思ったことはないですね。

私は子供の頃に両親にカメラを買って欲しいと頼んでコンパクトカメラを買ってもらったりしたことがあるのですが、その頃から「覗いて押す」という行為が好きでした。当時はフィルムも現像も高く、そこにはお金を出してもらえなかったので、撮ったつもりでシャッターを押して遊んでいましたね。なので、子供の頃から写真に興味があり、その延長線をたどって写真家になった、という感じですね。

 

次は岩根さんへの質問で「困難な撮影でモチベーションを維持できた理由は何か?」というのと、お二人に対して「被写体との適切な関係を維持する上で心がけていることは何か?」というご質問ですが、いかがでしょうか。

困難な撮影・・・。たぶん私が馬鹿というか、頑固なんだと思いますね。「こんなこと普通やるか?」ということをやってきていているので(苦笑)。

 

それはえらいと思うよ。

私は長期的な計画を持って撮ってきたわけではなくて、例えば「サーカットに出会ってしまったから、このカメラで撮らなければ」と思ったように、目の前に来た課題をその都度越えていくということを繰り返すうちに、気づいたら12年経っていた、という感じですね。なので、「モチベーションを維持しなきゃ」と思って取り組んだことはないですね。どちらにせよ常にやりたいと思ったことしかやってこなかったので。

もう一つの質問「被写体との適切な距離の取り方」についてはどうでしょうか?

 

写真とは、シャッターを押してしまえば誰もが「これは私が撮った写真です」と言えてしまうものであり、ある意味暴力的な部分があるものであると常に意識していますが、その上で「被写体に対して代わりに私が与えられるものはあるか」ということをいつも考えています。

 

今振り返ると、『KIPUKA』のためにハワイと福島で写真を撮る中で意識していたのは「役に立つよそ者になろう」ということでした。盆唄を通じたハワイと福島の架け橋になることをしようと心がけていました。例えば、ハワイの人たちを福島に呼んだり、逆に福島の人たちをハワイに呼んで、それぞれ太鼓の演奏をしていただいたときにはツアーコーディネーターの役割を担ったり。プロデューサーや通訳のような仕事もしましたし、ホテルの手配や車の運転、お弁当の注文なんかもやりました。そういうことを積み重ねていく中で、撮影に協力してくださる方々に出会い、サーカットを直してくれた方にも出会いました。

 

あとは、ボンダンスが行われる際にも働くようにしていました。当日は朝の4時から米を炊き始めて海苔巻きやおにぎりなど、ボンダンスの会場で販売する食べ物を大量に作ります。その仕事がすごく大変なのですが、それを乗り越えると連帯感と開放感が生まれ、その中で踊るボンダンスが本当に楽しくて。また、手伝う中でお墓についてのリサーチもできます。知らない場所で自分が欲しい情報を得て写真を撮ろうとするときに、その地で自分が役に立たなければと私は思います。なので「まずは働く」ということを福島でもハワイでも意識していました。

石内さんは、被写体との距離感についてはどうお考えですか?

 

そもそも、距離がなければ写真は撮れないでしょ。距離をどうやって測るのかが写真を撮る上で重要だけれど、測り方は個々人のパーソナリティによって異なるし、「適切な距離」というものはそもそもないと思います。

    

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