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  岩根愛個展『ARMS』

石内都×岩根愛対談

忘れ去られゆく墓たち

 

忘れ去られゆく墓たち

ハワイでのボンダンスは、先祖のための仏教行事として必ずお寺で行われます。日本からハワイまでやってきて苦労を経験した人々がいて、戦時中にはハワイで生まれた日系二世の若者たちがアメリカ軍に志願し、ヨーロッパ戦線での壮絶な戦いを経たことで彼らは市民権を得ました。そのようにして、現代に豊かな暮らしを遺してくれた先祖たちのために行われるのがボンダンスです。

石内:

岩根:

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岩根:

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移民たちがアメリカの英雄になったんだよね。

 

そうですね。日系二世部隊を写したパノラマ写真もあったり、軍の部隊の集合写真としてもサーカットはよく使われ、多くの写真が残っています。そして、ハワイの人々はこうした歴史をきちんと若い世代へと語り継いでいるんですよね。私の同年代はいま四世や五世なのですが、彼らも一世が何をしてきたのかをきちんと知っていて。自分の五代前の先祖が何をしていたのかは私は知りませんが、それを語り継いでいく文化がハワイにはあります。でもその一方で、こうして忘れられゆく墓地もたくさんあるのが現実です。

 

そもそもハワイに移民が必要になった背景を説明しますと、江戸時代に日本に黒船が来航したように、ハワイにも白人の一行がやって来て、サトウキビの大量生産というビジネスを持ち込んだのですが、彼ら白人たちが伝染病を持ち込んでしまい、先住民の8割の人々が亡くなってしまいました。もう一つの説として、先住民たちが全然働かなかった、という説もあるのですが(笑)。きちんと決められた時間通りに働く労働者が必要とされる状況になったため、ハワイに多くの移民たちが渡り、その地で彼らは勤勉に暮らしていきました。ハワイのあらゆる場所に日本人の町ができていきましたが、時代が経過するにつれてサトウキビ畑はどんどん閉鎖され、2016年には最後のサトウキビ畑がハワイから消えました。

『キプカへの旅』を読んでびっくりしたのだけど、労働者の賃金が高いから畑が無くなっていったのね。

 

そうなんです。物価が高くなるにつれてハワイ全体の賃金が高くなっているのも理由の一つですが、ハワイは農業労働者の賃金が世界一なんです。

だったら輸入してしまった方が安い、ということね。

 

そうです。南米から砂糖を輸入してしまう方が安いので、サトウキビのビジネスはなくなっていきました。マウイの大きな砂糖の製造会社が島内に広大な畑を持っていて、マウイの経済とも密接な関係があったため、畑を持ち続けて何とかしようと粘っていましたが、その会社も2016年に134年の歴史の幕を閉じました。そうして閉鎖された畑がハワイの各地にあるのですが、それらの土地は転売されることも多く、自由に入ることができなくなってしまいます。お墓をきちんと移築した人たちもいるのですが、先祖を想う気持ちが強い反面、こうした事情により忘れ去られようとしている場所がハワイには無数にあるわけです。

まだ岩根さんが撮っていないお墓もたくさんあるの?

 

今までにだいたい25ヶ所ほど行ったことがあるのですが、情報は探し当てているけれどまだ実際には行ったことがない場所がありますね。例えば、パイナップルの缶詰で有名な「ドール」という会社が持つ畑の中にもひとつの区画があるのはわかっていますが、まだ辿り着けていません。こういうお墓に私が辿り着けるのも、その場所を記憶している人たちに話を聞くことができるからなのですが、それができるタイムリミットも近づいています。実際にお墓のある場所で暮らしていた二世の人たちがいまは90歳以上になっていて、彼らから話を聞いていた、もしくは一緒に暮らしていた比較的若い年代のお坊さんが記録をつけていたり覚えていたりもしますが、場所の情報を聞いたとしても、こういうお墓は本当に何もないところにあるので、私ひとりで辿り着くことは絶対に不可能です。

まだこれからもお墓は撮り続けるつもりですか?

まだ心残りのあるお墓もいくつかあるので、探し出して撮っていきたいと思っています。

ハワイの暗い一面

 

ハワイの暗い一面

私は、一度だけ招待でハワイに行ったことがあるのですが、やっぱり観光地のイメージしかなくて「ハワイなんて行きたくない」と思っていました。でも、実際に行ってびっくりしたのが、意外とハワイって暗いのね。

 

夜が暗いということですか?

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岩根:

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いや、昼夜関係なく、ハワイ全体が暗いなと思って。例えばビショップミュージアムに行ったとき。

 

ハワイの歴史を伝える大きな博物館ですね。

バスツアーとは別で個人的にその博物館に行く途中にダウンタウンを通ったのですが、そこにはホームレスがたくさんいて。ハワイとホームレスってなかなか結びつかないと思うのだけど、実はたくさんいて、その印象がすごく強くて。

 

ハワイだと道端にバナナなどの果物が生えているから、ホームレスでもなんとか暮らせちゃうんですよ。また、慈善事業をやっている教会では食事を出してくれるところも多いようで、ハワイでは一時期ホームレスが多くなった時代もあったみたいです。

ダウンタウンでホームレスを見て、暗い通りを抜けてビショップミュージアムに行ったわけですが、ハワイの歴史もまたすごく暗いじゃない。バスで運転手が私たち日本人観光客をガイドして、最後は一流の高いお店で買い物しろ、というようなツアーに参加したのですが、そのとき運転手が移民の話をたくさんしてくれて。

 

その方は日本語でガイドをされていたんですか?

そうですね。

じゃあ日系の方なんですね。

三世の方だったかな? 彼に会えたことがすごく良かったです。暗い話ばかりしながらサトウキビ畑だった場所にも行ったけれど、そこにはお寺もいっぱいありましたね。「ハワイにこんなにたくさんのお寺があるんだ」と印象的でした。山に行けば霧の立ち込めたすごく寒い場所があったり。それが、私が初めて経験したハワイでした。ホームレスを目の当たりにしたり、街が思ったより暗かったり。ワイキキに行けば観光客たちが騒いでいたりするけれど、その光景は本当のハワイじゃないな、と思いましたね。その経験を経て岩根さんの写真を見ると、私が感じたハワイの印象は間違っていなかったなと思いました。

 

私がよくお世話になっているマウイのラハイナ浄土院は海沿いに建っていて、そのすぐ横には寺の所有ではない共同墓地があるのですが、そこは砂にどんどん埋もれていってしまっている場所です。

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《Lahaina, Maui, Hawaii》

2016 | archival pigment print | 250 × 1878 mm

©︎ Ai Iwane, courtesy  KANA KAWANISHI GALLERY

墓地はキャンプしやすく隠れる場所があったりという理由でホームレスにとっては過ごしやすい場所なのですが、ラハイナ浄土院のお墓にいるホームレスたちはお寺の用務員のように掃除なんかをやっているんです。

 

彼らはそうして雑用をする代わりにお寺のシャワーやトイレを使わせてもらっているわけですが、面白いのが、彼らは例えば会合があるような時、絶対にお寺に近寄ってこないんですよね。気配の消し方がすごくうまくて。食事に誘っても、人がたくさんいる場だったら絶対に来ないですし。なのに、風邪を引いたら「ラーメン作ってくれ」と私に頼んできたり、獲った魚を持ってきてくれたりもします。私、そういう人たちとすぐに仲良くなってしまうんですよね(笑)。そうして甘えてくる人も中にはいますが、基本的に彼らは自由に暮らしていて、私も「いい暮らしだな」と思って。お寺はすごく広いのですが、彼らにとってはお寺の全部が生活空間なんですよね(笑)。彼らはこのライフスタイルを自ら選んで、他人に干渉されず、自由にうまく生きている人たち。こういう形で、その土地をコミュニティと共有しているホームレスもたくさんいます。街中の墓地ではお墓一つに対して必ず一人「地主ホームレス」みたいな担当がいて、その人がお墓の掃除をする、というシステムもあります。

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岩根:

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墓守というわけね。

 

まさしくそうですね。私も彼ら墓守たちからお話を聞くこともありました。

たった一回ではあるけれど、さっき話した経験があったから、私はハワイのことがわりと好きになりましたね。それまで持っていた印象とはまるで違ったので。あとは、歴史が興味深いですよね。食べ物はあまり美味しくはなかったけど(笑)。

 

果物や獲れたばかりの魚介類は美味しいですが、外食ではそれ以外にあまり美味しいものはないですね(笑)。

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