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『KIPUKA』と〈ARMS〉のはじまり

『KIPUKA』と〈ARMS〉のはじまり

 

こんばんは岩根愛です。どうぞよろしくお願いします。石内さん、本日はありがとうございます。

今回、私が昨年発表した写真集『KIPUKA』が形になる前に制作されたシリーズ〈ARMS〉を展示しています。『KIPUKA』は福島からハワイに渡った日系移民たちの伝えた盆唄「フクシマオンド」をテーマにまとめられた一冊です。2006年に私が初めてハワイに行った時、ハワイ島の道路の脇で昔の墓地に出会ったのですが、そのお墓を写した写真が本の一番最初に登場します。

 

河西: 

岩根:

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本日は足元が悪い中、お越しいただきありがとうございます。岩根愛さんの作品〈ARMS〉を初めて発表する今回の個展開催を記念し、石内都さんと岩根さんによるトークイベントを行います。

©︎ Ai Iwane, courtesy  KANA KAWANISHI GALLERY

岩根:

石内: 

岩根:

石内: 

岩根:

この写真はハワイ島のオオカラという場所で撮影されました。橋桁の奥に藪があり、その中に分け入って行くと、この墓石があります。サトウキビ畑の労働者として1885年頃から1920年くらいまでに22万人の日本人がハワイに渡ったといわれていますが、ここはかつてそうした日本人の方々がたくさん住んでいた町でした。今は墓石だけになってしまっていますが、当時は家があり、学校があり、商店がありました。2006年にハワイに行った時、そんなことを初めて知ったわけですが、このような場所がハワイにはたくさんあると聞き、まずは「こういうお墓を探し出して写真に撮りたい」という思いからこのプロジェクトは始まりました。

そもそもなぜお墓に興味を持ったの?

 

それがですね、私が初めて一人暮らしをした場所が墓地の隣だったり、昔から「お墓が怖いもの」と思ったことがないんですよね。

このギャラリーも青山墓地のすぐ横だよね。

 

そうなんです。KANA KAWANISHIさんとのご縁もお墓が結んだのかなとも思いますが、墓地は昔から私にとって「なんだか気持ちが落ち着く場所」という存在でしたね。

 

ハワイのこういう場所にある墓石の多くは苔むしているため何が書いてあるのかは判別できませんが、漢字のようなものが書いてあって、日本人のお墓であるということはわかる、というような状態。そんなお墓を見つけた時に、何か「顔がない人」の気配に出会ったような感覚があり、お墓探し自体がすごく楽しかったんですよね。「出会う」ということが楽しくて、藪をかき分けていくと「あ、あった」っていう風にお墓が見つかって、さらに奥にかき分けていくとまたお墓が見つかって。そうして見つけていくと、だんだんとその集落の形が見えていく。そんなお墓を初めて見たのがこの作品に写っている場所でした。

 

今回の展示では自立壁の裏側に、私が探し当てた墓地を写した写真が展示されています。『KIPUKA』のプロジェクトは、移民の方々がハワイに伝えた「ボンダンス」を追いかけていくことでやがて現在の福島へとつながっていったわけですが、今回発表している〈ARMS〉は、ハワイには通い始めたけれど、私がまだ福島からの移民たちが伝えた「フクシマオンド」の存在に気がつく以前から制作していたシリーズです。2011年の東日本大震災が起こった際に初めて「フクシマオンド」の局面をきちんと理解し、それをきっかけに「この盆唄がどこからやってきたんだろう」ということを考え始めました。それをきっかけに福島に行くようになり、形になっていったのが『KIPUKA』でした。そこに至る前に撮っていたのがこの〈ARMS〉です。

 

Screen Shot 2020-01-18 at 14.24.31.png

個展『ARMS』展示風景

©︎ Ai Iwane, courtesy  KANA KAWANISHI GALLERY

石内: 

岩根:

『KIPUKA』よりも前なんだね。

 

今回の展示の中で、自立壁の裏側にある作品に写っているのはハワイの墓地なのですが、それ以外の作品はほとんど日本国内で撮られた作品です。『KIPUKA』にも載っている作品もありますし、この写真集に至るまでの旅について書いた『キプカへの旅』(太田出版)の最初のページに載っているのも『KIPUKA』に載っているのも同じ墓地で撮られた写真です。

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『キプカへの旅』より

石内: 

岩根:

 日本で撮られた作品も、お墓の近くで撮っているの?

 

それこそ、このギャラリーの目の前にある青山墓地の周辺で撮ったものもあったりするのですが、主にはお墓とは関係ない場所で撮られています。ある冬の時期、ハワイの最南端であるハワイ島のサウスポイントに行きました。ここはいつも貿易風*1が強すぎて木が曲がっていて、何もないような場所です。冬のハワイは雨季のため雨が多いのですが、合間に1日だけ晴れたりする日があり、その日に新緑が一気に芽吹きます。あまりに太陽の光が強いので、1日だけで一気に春になってしまうんです。私がサウスポイントに行ったのも、ちょうど長い雨の後の快晴の日でした。蛍光グリーンの草が一面に生えている中を風が強く吹き抜けていき、そこで見た鮮やかな色の波がすごく目に焼き付いて。

 

その後帰国し、東京で新緑の季節を迎えたときに、サウスポイントで見たその色が東京の新緑にも現れることに気がつきました。今まで見てきた風景のはずなのに、実はまったく見えていなかった。だけど、そのハワイでの冬の日をきっかけに見えるようになった色が自分の中にある、とその時気がついたわけです。ハワイに行けないときに、その色を東京で探し求めて撮っていったのがこれらの作品ですね。

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個展『ARMS』展示風景

©︎ Ai Iwane, courtesy  KANA KAWANISHI GALLERY

石内: 

岩根:

石内: 

岩根:

石内: 

岩根:

新緑というけれど、なんだか全体的に黄色っぽくない?

 

そうですね(笑)。

プリントは全部自分でやったの?

 

自分でしたものと、そうでないものがありますね。

そうなのね。「新緑」という感じがあまりしないなと思って。

 

作品をよく見ていくと新芽が写っているものがあります。5月頃の雨が降った翌日によく晴れると、正午頃の日が高い時間にこういう色が新緑に現れます。その色を日々追い求めて歩いているうちに、緑がゆっくりと爆発しているのを眺めているような感覚になりました。その光景に出会った時の感覚が、ハワイでお墓を見つけた時に得る感覚と同じだなとある日ふと思って。それまでハワイと東京で撮る写真はそれぞれ別々に捉えていたのですが、その気づきを境にひとつのシリーズとして取り組んでいきました。その後「フクシマオンド」を意識するようになってからはハワイと福島の往還が始まり、東京で新緑を追いかけるのをやめてしまったのですが、『KIPUKA』は木村伊兵衛写真賞の受賞展としてこの後大阪に巡回するのですが、「このタイミングで何か別の展示をしませんか」と河西さんからお話をいただいたことをきっかけに実現したのが今回の個展です。

パノラマ写真について

パノラマ写真について

石内: 

去年このギャラリーでの個展(『KIPUKA—Island in My Mind』、2018年)で発表していたパノラマの作品を見ましたが、その時の印象がすごく強くて。「お墓に焦点を当てるって大変だな」と思いながらも、「ハワイとお墓」が岩根さんの元(もと)にある感じがしています。古いカメラを直して使っていくということと、ハワイの移民の歴史から現代の福島への流れがうまく一致していて、私は岩根さんの撮るお墓の写真が大好きでした。

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個展『KIPUKA—Island in My Mind』展示風景

©︎ Ai Iwane, courtesy  KANA KAWANISHI GALLERY

岩根:

ありがとうございます。写真集の真ん中あたりにお葬式の際に撮られた写真があります。私のパノラマ作品に使っているカメラはこのように、元々ハワイの日系人たちがお葬式の際に参列者の集合写真を撮影するのに使われていたものでした。

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石内: 

岩根:

石内: 

岩根:

石内: 

岩根:

石内: 

岩根:

石内: 

岩根:

石内: 

岩根:

このパノラマ写真は、被写体の人たちは皆円形に並んで撮っているの?撮影者が真ん中にいるということなの?

 

そうなんです。カメラ自体が回転します。

自動的に?

 

そうです。ゼンマイ仕掛けで回るようになっています。初めてこのパノラマ写真を目にしたのが、カウアイ島のバケーションレンタルで家をレンタルして泊まっていた時でした。その家が元々は写真館を経営していた日系人のもので、こういう写真をいっぱい持っていて。私が写真家であることを伝えたら、家主の方が「この写真が何かわかるかい?」とプリントを見せてくれました。今回はその時にいただいたパノラマ写真を持ってきたのですが、ご覧の通りすごく解像度が高い写真が撮れます。この写真のサイズが実際のフィルムの大きさでもあり、これはコンタクトプリントで、密着焼きなんです。

これがフィルムの原寸ということなのね。すごいね。

 

その後「これはどういう風に撮られたのだろうか」と思い調べ始めたのですが、日本ではなかなか有力な情報に出会えなくて。そんな中でもなんとかこれらがアメリカの「コダック・サーカット」というカメラで撮られていたことがわかりました。幅が8インチ(約20cm)で、8×10用のロールのような大きさのフィルムをカメラにセットして撮影します。私が撮影する際の方法でいうと、だいたい2mほどの長さで360度撮影ができます。そもそも、この技術は軍事用の計画や測量などの分野に使われていたのだと思います。このカメラも元々は米軍の部隊の集合写真を撮る際によく使われていました。

私の使う35mmのカメラも、もともと戦場に行くときに使われていたものですね。

 

そうですよね。軍事用途があったことがカメラの発展にも関わっていますが、このコダック・サーカットをお葬式のときに使ったりしていたのは、少なくともアメリカの中ではハワイの日系人たちだけだったんですね。このカメラでは横に長い集合写真が撮れるわけですが、私が思うに、誰かが亡くなったときにどれだけの人々がそのひとりのために集まってくれるのかが大事だったのではないかな、と。このような集合写真が撮られているのは日系移民の一世たちのお葬式なのですが、日本に残った親戚たちがハワイのお葬式に出席するのが難しかったために、日本にいる彼らに「この人はこういう風に送り出されました」と見せるためにも撮られていたのだと思います。

この写真を何枚か密着でプリントしていた、ということですよね?

 

そうです。何枚も密着焼きをして、出来上がったものをお葬式の参列者たちに配っていました。だから、ハワイの日系人の方のお家にはこういう写真がロールになっているものが必ずありますし、お寺に行くとたくさんのプリントが保管されています。

このカメラで撮られた写真って、いわゆるよく目にするパノラマ写真とは少し違うよね。

 

そうですね。写真集『KIPUKA』と『キプカへの旅』にも収録されている、私が実際にハワイで撮影したパノラマ写真のプリントを今回持ってきました。このカメラは一周するのに30秒ほどの時間がかかります。

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《Pahoa, Hawaii, Hawaii》

2015 | archival pigment print | 250 × 1910 mm

©︎ Ai Iwane, courtesy  KANA KAWANISHI GALLERY

石内: 

岩根:

石内: 

岩根:

石内: 

岩根:

30秒間、被写体の人たちはじっとしているってこと?

 

人物を撮る場合はまず「動かないでくださいね」と伝えますが、昔は小麦粉の袋を切って、メジャーを使ってコンパスのように輪の線を地面に引いて、そこに並んでもらってカメラと全員の距離が均等にして撮影されていたそうです。そして、ぐるっとカメラが回って自分の目の前を通るときだけ動かないようにじっとしてもらう。

自分の前を通っているとき以外は動いてもいいわけね。

 

そうですね。ときどき写真の両端に同じ子供が写っている写真もあります。自分の前をカメラが向いた後に走っていって、反対側でも写る、というようにして(笑)。今回持ってきた写真はハワイ島のパホアという場所の日系人墓地を撮影したものです。

すごく分厚い印画紙を使っているのね。

 

これはバライタ紙です。私がこの風景の真ん中に立ち、プリントと同じ大きさのフィルムを使って撮っています。このカメラを修理してもらい使えるようになってからは、私がハワイに通い始めた頃に見つけたお墓を再訪し、このカメラで撮っていきました。

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*1(ぼうえきふう、英語: trade wind)亜熱帯高圧帯から赤道低圧帯へ恒常的に吹く東寄りの風。

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