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表良樹個展『等身の造景』開催記念 トークイベント

河口龍夫 × 表良樹

「等身大からの精神の背伸び 」

■目次■

Page 1

〈Turbulence〉と〈Tectonics〉

河口龍夫と中原佑介

Page 2

■ 学生時代の制作
■ 作品の中心について

Page 3

■ 時間の非可逆性

■ 作品の言語化

Page 4

■ 批評の重要性

■ 破壊の先に生まれる造型

質疑応答

学生時代の制作

学生時代の制作

河口:

河西:

河口:

:

表のこの作品は時間の積層だと思いました。僕のこの 〈陸と海〉 は、「自然の中の時間」でした。そこらへんがやはり重なっているなと感じました。で、こう言う場面では、表くんを褒めなきゃいけないと思っているんです。

今日は先生と生徒ではなく、アーティスト同士として、とおっしゃっていらっしゃいましたね(笑)。

 

彼はね、表裏がないんですよ。名前の通り表なの。これは珍しい。だいたいは裏がある。でも彼はない。それと、彼はもともと彫刻をやってたんです。そして私が京都造形芸術大学のために新しく打ち立てた総合造形という所に来た。だから物質での表現に対して、彼は学習しているんですが、彫刻でも、ブロンズとか木彫とか、そういう素材が優先する彫刻の在り方を彼は疑っていたんです。それを壊したくて、やたらランドスケープとかね、もの凄く大きいことを言うのが大好きで。

そうですね。先生に教わっていた時に作っていた作品についてざっとご紹介させて頂ければと思います。河口先生が京都造形にいらっしゃった時、僕は彫刻だったんですけれど、その時に「美術工芸学科」という、日本画や版画など色々とある中で、3年生の時に編入できる「総合造形ゼミ」を河口先生がやってらっしゃって、僕はそこに3年生から入りました。その前に作っていたのは、主にこういう作品でした。

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©︎ Yoshiki Omote, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

石膏に鉄の既製品などを入れて、埋めて、それを野外に放置しておくとだんだんと雨ざらしになり、錆が石膏に染み込んでいくという作品です。そこで出来る「自然の模様」を描いていこうとしました。

 

その前は先生がおっしゃったように、彫刻やブロンズで小さな作品を作ったりしていたのですが、先ほど先生とも話していたのですが、ちょうど僕が1年生の終わり、2年生になる前に3.11があって、それまで学んできた彫刻や造形っていうものに対して、疑いを持ち始めたのかなと今は思います。

河口:

表:

それはもう、すぐに分かったよ。疑っているっていうことが。

 

そうですね。西日本だったので直接的には影響がなかったのですが、「課題をこなす」ということに対して疑いを持つように変わっていった気もします。これは2年生の時の作品です。

Screen Shot 2020-02-08 at 17.19.21.png

©︎ Yoshiki Omote, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

河西:

表:

面白いですね。フォークやスプーンを、なぜ石膏に入れようと思ったんですか?

 

彫刻って、石膏を触ったりするんです。例えば、スプーンを叩いてヘラにしたり、しゃかしゃかとかき混ぜる道具にしたりもします。石膏は放っておくと固まるんですけど、その時にスプーンの錆からできた滲みが面白いなと思って、そのまま作品にしただけなんですけど(笑)。

 

また河口先生のゼミに入ってからは、このようなドローイングも始めました。これは、自分の手を紙やパネルに置いて、掌の型を鉛筆などでトレースして、その線を基準にどんどん同心円状に線を重ねていったものです。きっかけは、先程お寺を巡っていたという話もありましたが、その石庭に置かれていた石が、人の形に見えてきたことです。やはり人も物というか、いずれすごく長い時間をかけて物になっていくと感じました。自分も、ひとつの物質なんだなと感じて、このドローイングも最初は掌から始まるけれど、それが徐々に変化していき、どんどん線を重ねていくうちに手の曲線がだんだんと直線に近く。ひとつの流れがすごく大きな時間の流れに置き換わっていくということを考えました。

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©︎ Yoshiki Omote, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

河口:

上手に喋るようになったなあ。それらしく聞こえるよ(笑)。

作品の中心について

作品の中心について

表:

ありがとうございます。今やっている「重ねる」という行為にも繋がっていると思います。

 

次はすごく長い作品で、いまは分かれてしまっているんですけど、この部分とこの部分が、実は繋がっています。これは自分の顔をかたどっています。キャンバス上に自分の顔の輪郭線をトレースして、それを繰り返して、先程の作品と同じように、自分の顔の線が合わさってどんどん続いていくという作品です。

 

これを先生のいらっしゃる場で発表して、先生にすごく怒られました(笑)。何年も前のことですが今でも忘れられません。自分のポートレートを描いたわけなのですが、先生は「ここに60億人いないとダメなんだ」っておっしゃっていました。

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©︎ Yoshiki Omote, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

​表:

あの時よりも話が上手になったよな。いや、あの時に批判したのはやっぱり君が中心だからなの。「君の手」や「君の顔」である必要がないんだよ。だけど、あの時の表には多分わからなかったと思う。分からないことをあんまり強制してもしょうがないから。今回の作品なんか、顔でも手でもないでしょ? だからやっぱり理解したんだろうな。うん、描くことさえしていないもんね。

河口:

ドローイングを描いていた頃から比較すると、「自分が中心」にあるかという問題について、すごく考えはじめたように感じます。

 

これは、京都の山奥で小学校を使って展覧会をするというイベントで、雪がちょうど積もっていたので、裏に流れていた川の水をすくって、そこに寝て自分の人型をそこにトレースして、ジョウロでそこの周りをどんどん描いていきました。それがだんだんと溶けてなくなっていくのですが、その様子を映像に撮って作品にしました。やはり出発点は自分の身体なのですが、それをどんどん拡張していくことで、外に向かった大きな変化として捉えました。

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《NEW HORIZON》

©︎ Yoshiki Omote, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

自分の中では当時はこれは成功した手応えを感じて、しばらくはこれを続けていこうと思いました。次の卒業制作では、西日本を旅しながら、地図上にどんどん点を打って、実際そこに行って出会った人にそこに寝てもらって同じことをしました。先生に指摘された「自分が中心」ということについて、「中心を作らない」ということを考えていました。

河口:

​表:

河口:

河西:

だから他人を中心に置いたんだね。なんだろう、すごく学んでるんだよな。

 

「中心」に対する考え方というのは、今でも自分の中に大きな問題意識としてあります。

近代主義ってのは、ずっと自分が中心で進んできたから。それで結局は、行き詰まっちゃった。

 

人間中心に進んできてしまったということですね。

河口:

​表:

そうですね。人間中心というのは、「私中心」の発想。でも「他人」を中心に持ってきたとき、自分は嫌じゃなかった?

 

嫌じゃなかったです(笑)。最終的には、それを持って帰ってきたんですけど、外でやった作業の限界を超えた事を手に戻すっていう。その立体地図も、西日本の立体地図なんですけど、そこに鉛筆でドローイングを描いていって、やっぱり外でやっていたことには限界があるけど、その先の延長線をやっていって、その映像と一緒にインスタレーションをしました。

河口:

学生を指導する側に立つ僕の基本的な考え方として、同じ学生は二人といない、というのがあります。だから同じ教育は二度としない。それはもう決めているんですよ。それと、どんな学生でも必ず未来があると信じています。筑波大学に勤めている時にもね、200名ぐらいの階段教室で、冒頭に「君たちは未来だ!」と言ってやったんですよ。そしたら学生がシーンとして、全員がにこーっとしたんですね。言われたことないからね(笑)。それからは授業がやりやすかったよ。

 

で、表くんというのは、教育上のキャッチボールができるんだよね。僕が投げた「中心と自分」ということを批判したでしょう? それをきちんと受け止めるんですよね。で、彼の偉いところは、必ず作品で返してくるところなんです。僕に見えるように返してくるんです。そこが、僕が彼を「表裏がない」と評した部分です。表のまんま。そういう意味では好青年だよね。教育し甲斐がある。言葉がきちっと肉体になっていく。反発は反発で面白いんだけどね。表くんは吸収していってくれました。

​表:

僕の中では反発していたんですけどね(笑)。

河口:

​表:

確かに、批判した時に顔色変わった。たぶん、批判された事ないんじゃないかな? だから批判の内容よりも、批判されたことにすごく反応してたな。表、怒られたり批判されたことないんじゃないの?

 

いや、あります。一般的な精神を持っています(笑)。

    

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