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表良樹個展『等身の造景』開催記念 トークイベント

河口龍夫 × 表良樹

「等身大からの精神の背伸び 」

■目次■

Page 1

〈Turbulence〉と〈Tectonics〉

河口龍夫と中原佑介

Page 2

■ 学生時代の制作
■ 作品の中心について

Page 3

■ 時間の非可逆性

■ 作品の言語化

Page 4

■ 批評の重要性

■ 破壊の先に生まれる造型

質疑応答

時間の非可逆性

時間の非可逆性

河西:

私が英訳を担当させて頂いた河口先生の3つの展覧会のうち、2つ目がこちらの 〈関係-鉛の郵便〉 でした。鉛の封筒の中に、植物の種が入っています。何の種子が入っているか、タイトルや形状でわかるものもありますが、鉛に閉じ込められているので、実際に見ることは出来ません。

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《関係—鉛の郵便・おじぎそう》

1988 |  鉛・種子

 ©︎ 河口龍夫, courtesy SNOW Contemporary

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 《消去された時間》

1963 |  銅版画(エッチング)

©︎ 河口龍夫, courtesy SNOW Contemporary

河口:

河西:

表:

河口:

河西:

またいちばん最近英訳させていただいたのは、『1963年の銅版画より』という展覧会で、こちらも素晴らしいものでした。当時23歳のご自身の作品を、先生自身が最近になって10点ほど見つけられ、それが未発表の作品だったので、半世紀というすごい時間をかけた新作として発表されました。しかも、表さんが河口先生の元で学ばれていたのも23歳ということでした。

この「1963年の銅版画より」に出品した《消去された時間》という作品はたぶん時間に対する関心があって、やっぱり時計とか、そういうイメージからは離れていないね。作品にはうまい具合に発表する機会がある時と、それがなくてアトリエに埋まっている場合があるね。こういう風に出てくる場合もある。僕は作品に「ごめんなさいね」って謝るんだけどね。こちらはたまたまSNOWで並べる機会があった。最近は、初期の作品を発表する機会が多くなりました。

表さんもいつかそうなるのでしょうか。

 

僕もこのテキスト読ませて頂きました。河口先生が、50年前の1963年の、ご自身の学生時代の作品について述べられているんですけど、すごく客観的かつ論理的に自分の作品を考察していらっしゃいました。その当時に描いた心境とかは忘れていながら、それを深く掘り下げている。僕はまだ27歳なんですけど、作家としてのこの先を想像した時に、長い時間軸で考えると作品を作る中で悩むこともありますけど、長いスパンでものを見れたらいいなと思いました。

 

また先生のテキストにある「時間の非可逆性は、過去の現実への非可逆性と重複するかのようである」という部分が印象的でした。先生に教わっていた頃にも、自分が過去にやっていたこと、過去に作っていた作品を、今もう一度作ることは出来ないということをよくおっしゃっておられました。

 

このテキストは昨日頂いて、電車の中で読んでいたのですが、今日過去の資料をまとめるにあたり、僕も色々と考えさせられました。自分の学部生の頃からの作品をまとめる機会というのはあまりなかったのですが、今朝からそれをまとめながら振り返ってみて、やはり今に繋がる作品があると感じました。

人って、必ず死ぬでしょう。僕より歳下だったんですが、最近、関根伸夫も亡くなったでしょう。彼は須磨のアトリエに泊まりに来たこともあって親しかったんです。仮に30代で亡くなったとしたら、これが自分の代表作になるかなとか、いつどこで途絶えてもきちっと成立する仕事を用意しないといけないってのがひとつあるよね。

 

世の中のアーティストもギャラリストも、全員に響くご指摘ですね。

作品の言語化

作品の言語化

河口:

河西:

河西さんね、僕のテキストを翻訳してるんですよ。作品そのものを見るより先に、SNOW Contemporaryでの個展の為のテキストから入っているんですね。言葉から入っているというのは、表の関わり方とも全然違う。そこがすごく興味深い。

 

そうですね。面白いですね。表さんとも話してましたが、河口先生の作品は、作品に余白があるのに論理的なんですよ。言葉で説明できないものがあるから作品の存在意義があるのであって、だけど言葉の助けがあってより伝わりやすくなるものだとも思います。ファンの心境ですが、そこが河口先生の作品の素晴らしさだよね、と二人で話していました。

河口:

どう言ったらいいのかな。作品は魅力的でないといけない。それと、自分の思考を話したり、文章として書くこと求められる機会が多くなり、それに答えなければならないことが怒る。アーティストの文章は訳がわからないものが多いとよく言われます。言葉での表現能力に対しての関心が希薄なことは良くないと思う。三大新聞に原稿を頼まれると、中卒の方も読めるような日本語でないと駄目だと言われます。中卒以外の高学歴の方が読むとなると、別にコラムがあるんですよ。だから中学生が読んで理解できる文章にしなければならない。これはこれなりに難しい。

 

例えば、今日ここで話すというのは、どちらかと言うと専門家が多いですから、すごく話しやすいし、専門用語も使える訳です。ところが美術館で個展をするとなると、まるで状況が違う。例えば、僕は東京国立近代美術館で個展をしたんですけど、あそこは物故作家の展覧会も多くて、僕は生きてたから、講演や鼎談などライブな催しが多くなる。その時には、やっぱり専門用語があまり使えないんです。僕の作品を知っている人だったり、一般の人や、いろいろな人が来るわけだから、専門用語をなるべく使わないで語らなきゃいけない。これは鍛えられる訳です。コンセプチュアルアートとか、もの派といった言葉で内容を誤魔化すことは一切できない。自分の作品を言語化する。言語化することで、ブーメランのように、自分から出たものがもういっぺん自分の元に返ってくるわけです。そこら辺が大事だと思う。

 

僕は今回の表の展覧会を見て、以前は石とか木とかそういうもの使っていたけど、いまは素材そのものも作り出していると感じました。物質で表現しないと見えない。そこがひとつ、表の現在の到達点かな。

​表:

河口:

素材を作り出しているというのは、どういうことですか?

 

要するにね、見えるためには物質化しないといけない。60年代から70年代、世界の最先端の芸術家たちが悩んだことがあるんですよ。それはどういうことかと言うと、観念や、精神的な表現を、一切物質を借りないで芸術として表現できないかと。言わばコンセプチュアルアートみたいなものですね。もうひとつは、観念とかいろいろな概念に影響されないで、物そのものを純粋に見せることはできないだろうか。これはイタリアでアルテ・ポーヴェラ*3、日本であればもの派*4と言われてる。つまり「そのもの」と「コンセプト・観念」というものが分離したんです。これはそれぞれ意味があるんですね、その時代として。

僕自身は、物というか、物質の「質」の方に興味があるんです。例えば鉄が錆びるとか、銅は電気を流すとか。自分が持っていない性質をもつ物質に、ものすごく惹かれる。でも物だけだと、時間とか、生命とか、そういうものが抜け落ちるわけです。観念だけ追いかけると、それらを写真とか文字とかにすることでしか視覚化できなくなってしまう。そうすると最終的には貧弱になっていく。その問題を解決するために、僕は観念と物質というものを「関係で繋ぐ」ということに到達したんです。関係そのものを想像する。想像することによって、関係そのものを芸術にする。

 

結局ね、コンセプトがオリジナルじゃないといけない。これが非常に大事ですね。それと、一生涯を費やしても尽きない、そういう問題に出会うことです。それと、「評価されるため」に絶対に作品を作らない。評価は後からやってくるんです。これは学生にも言っているんですけど。例が良くないかも知れないんですが、「東大に入りたい」という人がいるとする。東大にあの先生がいて、あの科目を勉強したい、という人は潰れない。けれど「東大入りたい」だけの人は、そこで終わるんです。それが到達点になるから。だから芸術においても、有名になるだけが到達点だったら、それは簡単にできると思いますよ。売名すれば良いだけだから(笑)。だけど、芸術とはそういうものでないと僕は思っています。

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*3 1960年代後半〜70年代前半にかけて確立・展開したイタリアの芸術運動。「貧しい芸術」を意味し、鉛、新聞紙、木材、石、ロープなどの素材を頻繁に用いた。67年に、この動向の命名者である批評家ジェルマーノ・チェラントによって「アルテ・ポーヴェラ、Im空間」展がジェノヴァで企画されたことを端緒として、イタリアの若手作家らによる緊密な連帯関係が構築されていった。

https://artscape.jp/artword/index.php/アルテ・ポーヴェラ

*4  1960年代末から70年代初頭にかけて現われた、「具体」と並ぶ戦後の日本美術史の重要動向。主に木や石などの自然素材、紙や鉄材などニュートラルな素材をほぼ未加工のまま提示することで主体と客体の分け隔てから自由に「もの」との関係を探ろうと試みた一連の作家を指す。作品を取り囲む空間を意識させる点では、60年代後半の「環境」への注目とも関係しており、インスタレーションの先駆ともいえる。関根伸夫の作品《位相-大地》(1968)が嚆矢とされたが、明確なグループが形成されたわけではない。

https://artscape.jp/artword/index.php/もの派 

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