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小松敏宏個展『トポフィリア(場所愛)—ジャパニーズ・ハウス』

開催記念トークイベント

中村浩美(東京都写真美術館)× 小松敏宏

顔のないポートレート

顔のないポートレート

 

私はいつも撮影した後に、協力者の方に作品をお見せしています。ある方からは「顔が写っていないので、余計に手や服など他の部分が目につく」と感想をいただきました。顔が写っていると、顔の写りばかりを気にしてしまいますよね。顔がないことにより、ようやく家や服、手、仕草など、他の要素に視線が注がれる。作品を撮っていて分かった事ですけれど、そこが面白いです。

小松: 

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Fujinawa House, Kyoto City
2019 | lambda print | 910 × 740 mm
©︎ Toshihiro Komatsu, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

そこに3人の男の子がいる写真がありますね。その写真を見た男の子たちは「僕たちの顔はいつできるの?」と言っていました(笑)。もし顔が写っていたとしたら、「この写真は絶対使って欲しくない」と言う人はおそらく沢山いると思います。やはり人間の目線はどうしても顔にいってしまうから、顔がない事ですべてが等価に扱われるようになる働きがあるのかなと思っています。

先ほどお話したモンタージュの習作〈Houses and Citizens of the 20th Century〉は、ザンダーの作品のタイトル〈Citizens of the 20th Century〉の「Citizens」を「Houses and Citizens」に置き換えています。ザンダーとベッヒャーの表現を用いてかなり楽しんで習作を作りましたが、ここをきっかけにして〈Japanese Houses〉は始まりました。

ちょうど習作を制作していた時に、私の実家が新しい家に引っ越しました。私は当時アメリカに住んでいたので、なんだか自分の家がどこかへ行ってしまったかのような、家を失ったような気持ちになりました。このプロジェクトの制作をするために夏の間ボストンから日本に戻ったのですが、日本に着いて最初に母に電話した時に「家はどこにあるの」と尋ねたことを覚えています。そして「いまが良いタイミングだ」と思い、作品をつくり始めたのです。今ではやるべきことも、やりたいことも徐々に見えてきまして、例えば「雪国で撮ったらどうか、完全に雪に覆われた家や人を撮ってみたい」とも思っています。

今回京都で撮った新作は、こちらの一人で写っている作品です。彼が前の奥様と別れ、家を売る直前に撮った写真です。今彼は新しいご家族と集合住宅にお住まいなのですが、もう持ち家は嫌で自分には必要ないとおっしゃっていました。家に縛られていたのでしょうね。

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Kitawaki House, Kyoto City
2016 | lambda print | 910 × 740 mm
©︎ Toshihiro Komatsu , courtesy KANA KAWANISHI GALLER

中村: 

そういう意味では正真正銘のポートレートですよね。

一番貴重なタイミングでしたね。顔が家に隠されているだけではなく、植栽によっても隠されていて、二重に隠蔽されているところも非常に面白いです。

また今回DMでも使っているこの方は、大津市の一軒家に独りで住んでいるアーティストで、1階がアトリエになっていて、そこで制作されています。着物がすごく好きな方なのですが、できあがった作品をみて、足が開いている事を非常に気にされていました(笑)。でも全てのディティールがきれいに撮れたのがこの一枚だったので、作品として選ばせて頂きました。私の妻も義母も着物を着ますが、この写真を見せたら「着物に着方なんて別にないわよ」と言っていました。いろんな意見があると思いますが、この方には本当に着物を着ていただいて良かったなと思っています。家とのミスマッチや、家周辺の緑に覆われて南天の樹が二重に写っているのも面白いですし、よく見るとディティールがすごく豊富です。

小松:

Agano House, Otsu City
2019 | lambda print | 910 × 740 mm
©︎ Toshihiro Komatsu, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

97年にまとめて20家族ほどを撮影し、2002年にはカラーでもう一度浜松で制作しましたが、さらに京都では妻の人脈を頼って撮影をしていきました。「マックさん」というのは、妻が学生時代にアルバイトをしていた喫茶店で、バイク好きが沢山集まるところですけれども、子供が生まれた後にご挨拶に行ったところ、ご縁あり今また働いているという繋がりのある場所です。そのような経緯で今回撮らせていただきました。

Kimura House, Kyoto City
2019 | lambda print | 910 × 740 mm
©︎ Toshihiro Komatsu, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

中央に写っているのはマスターで、隣に写っている娘さんのお父さんです。では、旦那さんはどこにいるのかと言うと、実は結婚はせずパートナーという形で別々の家に住んでいるそうです。現代社会では家族はより複雑になっていて、さまさまなパターンがあり、この作品ではそういうものが反映しているのかなと思います。この別の作品に写っている奥様は実は私の大学に通う学生でした。お子さんが私の子供と同じ幼稚園に通っていることから、何十年かぶりに再会したのです。そのような経緯があり撮影させてもらいました。それぞれの作品にストーリーがあります。

中村:

中村:

小松:

日本国内もまだまだネタがありますし、願わくばライフワークとして日本国外でも展開できるかもしれないですからね。まずはザンダーの母国であるドイツで発表したいですね。

 

「ザンダーと一緒に展覧会ができれば」なんて、夢を見ていますけれども(笑)。

 

ザンダー財団はすごく厳しいですからね(笑)。

過去と今後

過去と今後

 

私が学生の頃、写真130周年ということで、代表的な写真家たちの展覧会が東京でたくさん行われていました。ザンダーといい、アンリ・カルティエ・ブレッソン*12といい、彼らのオリジナルプリントを目にすることができました。そういったタイミングでしたので、写真史に影響を受け、興味を持ちました。現代美術にも、美術史にも、アートという領域自体にも、同じかあるいはそれ以上に興味を持ったのですが、やはり写真というのは独自の歴史を持っていて非常に面白く感じました。そのあと80年代後半から90年代になると、写真が現代アートの中にもっと大胆に組み込まれるようになり、写真史と美術史は一体化していった印象があります。

このギャラリーはわざわざ「KANA KAWANISHI PHOTOGRAPHY」とはっきり写真専用にスペースを分けて営んでいる。それに対して私もやはりここでは「写真史を意識した作品を見せたい」と思い、この作品をあえて意識的に選びました。

小松:

中村:

中村:

中村:

小松:

小松:

小松:

折笠:

このギャラリーで、写真と他の作品をそれぞれ西麻布と清澄白河で個展を開かれるのは小松さんが初めてでしょうか。

清澄白河のスペースでの展示では写真作品も発表しますが、写真よりもアートの文脈を意識して作った作品です。アートのコンテクストと写真のコンテクストにはどのような違いがあるのか、またはそもそも違いはあるのか、を考えています。

こちらのギャラリストでディレクターの河西さんが最近ご出産され、本日は来られなかったのですが、この展覧会をどのタイミングで開催するのかなど、河西さんのお腹の子供の成長を図って決めていました。ギャラリストも家族になったということで、あとは家を持ってくれたら良いのですが(笑)。

実際にここのギャラリーと清澄白河のギャラリーでお客さんの層などは違いますか?

そうですね。物理的に距離が離れているので、それぞれのエリア近辺にお住まいの方が来廊されることが多いですし、やはり写真作家や写真コレクターの方はこちらの写真専門スペース(西麻布)によく来てくださいます。一方で現代美術全般を扱うスペース(清澄白河)では、現代美術に広く興味のある方が多く、東京都現代美術館からすぐの立地ですので美術館を訪れるタイミングで来廊されるということも多いですね。もちろん、両方にいらして弊廊の全体像を理解してくださる方もいらっしゃいます。両方で個展を連続して開催するのは今回が初めての試みですが、小松さんのように写真とそれ以外の表現に並行して取り組む作家も弊廊では多く扱っていますので、2つのギャラリーを持ち棲み分ける意味も大きいかと思います。そんな考えをお客様にもご理解いただけているという感触もあります。

 こちらのスペースで二度個展をした岩根愛さんは木村伊兵衛写真賞を受賞されましたが、木村伊兵衛賞というのは現代美術とも違い、完全に写真のコンテクストを持った賞ですよね。だから同じ写真でも、コンテクストが違うと意味も変わってきます。

 

ですから、まずは展覧会へ行きましょう。実際に見て違う意見がもしあれば、それはそれで面白いですし。

 東京都写真美術館での『幸福論』では20家族以上の白黒作品を展示していましたが、写真の批評家・飯沢耕太郎さんがお見えになってお話しする機会がありました。白黒作品に非常に興味を持ってくださいました。「もちろんこのカラーの作品は現代のドイツ写真のことを考えると分かるけれども、白黒の方は凄く新鮮でこんなものは見たことがない」と言ってくださって、それは未だに覚えています。

元々、私はインスタレーションの記録として写真を使っていました。それがただの記録としての手段ではなく、その写真技法を使って作品を作ることができないかと考え始め、その流れで作った最初のプロジェクト作品が〈Japanese Houses〉でした。私の表現は写真ありきではなく、もっと空間的な立体ありきの表現でしたので、写真の文脈の方々に見てもらえる機会があまりありませんでした。東京都写真美術館では、写真の文脈の方々にご覧いただけて、加えて写真批評の第一人者から貴重な意見を頂けたのはすごく良かったです。

もしかすると彼としては、私は白黒のコラージュ作品をずっと続けるのかと思いきや、いきなり実際に家を建て直してしまったり、表裏反転させて建て直すなどは思ってなかったかもしれません。自分は空間的、立体的な作品をずっと制作してきていて、写真作品ばかりをつくり続けてきたわけではないですし、一定の形式を決めてしまうとそれだけをずっとやり続ける、そういった作家もいますが、私は同じことだけをずっとやり続ける仕事の仕方はできないです。でもやると決めたからにはこの〈Japanese Houses〉シリーズは一生やり抜きたいとは思っています。今後海外でも同じ手法で制作するかもしれないですし、色々な展開のしようがあるなと思っています。

質疑応答

質疑応答

 

ではせっかくなので、この辺りで皆さんからご質問などありますでしょうか。


私が学生の頃から先生のアトリエには今回発表している作品が飾ってあったのですが、初めて見たときはギョッとしました。先生のインスタレーション作品と比べると、この作品はより直接的で印象が強いのですが、今回ご実家の家具屋さんの話や、働くお父さんの姿など、先生の幼少期のお話を聞いて、そこからの影響を強く受けられてのことなのかと思いました。鷲田先生の本に「昔は親が働くということをもっと身近で子供が見ることができる世界があった」と書かれていましたが、そこがすごく先生の中に大きく、この作品自体が先生のポートレート的な要素が強いのかなとお話を聞いて思ったのですが、いかがでしょうか。

中村:

質問者1:

小松:

中村:

質問者1:

小松:

小松:

小松:

質問者2:

質問者2:

折笠:

やはり自叙伝的な要素は持っていると思います。実際、顔が隠れていますがポートレートですし、自分の実家も写っています。私に関係した人たちや親類縁者をひたすら撮り続けてきましたので、他の作品とは明らかに違っていて、他にこのような作品はないと思います。キュレーターのなかでも、この作品を好む方と、インスタレーションを好む方に分かれますね。

次の清澄白河での展示では、帰国前にニューヨークで私が個展(2000-01年『クイーンズフォーカス03:隣接する空間』)をしたクイーンズ美術館のキュレーター・岩崎仁美さんに文章を書いて頂きましたが、彼女はインスタレーションや空間性を重視した作品が好きな方です。文章を書いてもらう上で実際に私のアトリエで作品を見てもらいました。実は〈Japanese Houses〉には2つのサイズがあり、今回の個展に出しているのは小さい方のサイズです。大きい方は、120×160cm程度で写っている人は原寸に近くなり、子供ほどのスケールに引き延ばされます。岩崎さんがアトリエに入ってきてまず最初に見たのがその大きいサイズの作品だったのですが、その作品を気に入ってくれて西麻布で出すのか聞かれました。美術館なら出せるけどサイズが合わないので小さいサイズしかギャラリーには出せないと伝えると、非常に残念がっていました。

他には、クイーンズ美術館の学芸部で主任だった女性キュレーターが、MoMA PS1での私の展示(1999年『Special Projects Fall 1999』)で〈Japanese Houses〉を見てくれていて、彼女の企画していたグループ展にその作品を加えたかったそうです。私がそれを知ったのはクイーンズ美術館で個展をした時で、「あなたは個展を開催したから残念ね」とオープニングの後の会食で言われました。「グループ展に入れると特定のコンテクストに入れられるから、その良さもあるでしょうね」と岩崎さんはおっしゃっていました。〈Japanese Houses〉に興味を持ってくれる方と、インスタレーション等の作品に興味を持ってくれる方とでは、少し関心が違うように感じています。

ひとりで写っている作品も面白いです。家族写真が多い中にあると余計に目立ちますね。

数年後には、こういう作品が倍増します(笑)。

そうですね。「なぜ独りでこの家に住んでいるの?」と傍からは思われてしまうような人が増えていくかも知れません。人がいない家ももっと増えていくでしょう。

私は写真をベースに版画のメディウムでもアーティストとして活動をしています。小松さんは白黒からスタートし、カラーに移行していきましたが、今後白黒に戻ることはありますか?

白黒写真は魅力的ですが、フィルムや印画紙、薬剤など必要な資材が手に入りづらく、続けていくのは非常に難しいです。デジタルでも白黒はできますが、ゼラチンシルバープリントの現像技術は簡単ではありませんからね。

人間の視界に色があるからなのかもしれませんが、モノクロ作品を拝見すると白と黒だけではなくいくつかの色を感じました。モノクロからは非常にパワーを感じるのですが、カラーだとそれが薄れているようにも感じます。私の教えている人の中にもモノクロ写真が好きな生徒がいますが、小松さんも教鞭を執られていますよね?

京都精華大学で教えています。若い世代には白黒写真を見たことがない子もいて、彼らにとっては白黒が逆に新鮮で魅力的に感じられるようです。私たちが子供の頃は白黒が一般的でしたが、今はデジタル写真が主流ですからね。「白黒の技術は昔のものだ」とも考えていましたが、非常に魅力的ですし、先ほどおっしゃっていたようにカラー写真に比べて力強いものもあると思います。デジタルの白黒写真を試みるかもしれません。

ありがとうございました。それでは、こちらでトークイベントを終了とさせていただきます。この後もお時間は続きますので、何かお聞きしたいことなどありましたら中村さん、小松さんとのお話をお楽しみください。それでは、本日はありがとうございました。

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*12  アンリ・カルティエ・ブレッソン:(Henri Cartier-Bresson、1908年8月22日 - 2004年8月3日)は、フランスの写真家。20世紀を代表する写真家であると多くの写真家・芸術家から評されている。彼は小型レンジファインダーカメラを駆使し、主にスナップ写真を撮った。https://en.wikipedia.org/wiki/Henri_Cartier-Bresson

アンカー 1

文・編集/小林萌子 (KANA KAWANISHI ART OFFICE LLC.)

ウェブアーカイブ/折笠純 (KANA KAWANISHI ART OFFICE LLC.)

校正・文責/河西香奈 (KANA KAWANISHI ART OFFICE LLC.)

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