『セルフもっとサテライト 2018初秋』

アーティストトーク

日 時:2018年8月26日(日)18:00〜20:00

会 場:喫茶ランドリー

登壇者:藪前知子氏(東京都現代美術館学芸員)

    小保方裕哉、表良樹、菊地良太、小城開人

    冨川紗代、前川和純、森山泰地 

(Messenger通話参加)

 

菊地良太・前川和純『知景|knowledgescape』

 

みなさん、本日は『セルフもっとサテライト 2018初秋』トークイベントにお越しいただきありがとうございます。本企画の参加作家は全員で7名ですが、こちらの会場である喫茶ランドリーさんで展示をしている森山泰地さんが、現在台湾でレジデンスをしているので、本日は6名にお越しいただいています。そして今回、東京都現代美術館学芸員の藪前知子さんをゲストスピーカーとしてお迎えいたします。どうぞよろしくお願いいたします。

 

はじめに各展示会場の各作家からそれぞれご用意いただいた資料などをお見せしながら簡単に作品のご紹介をしていただいて、その後菊地さんからこの企画に関するきっかけ経緯などをお話しいただくような流れにしたいと思います。

 

まずはじめに、KANA KAWANISHI GALLERYで展示している菊地良太さん、前川和純さんの二人展についてお二人から。本展には『知景』という造語のタイトルがついています。

 

河西: 

『知景|knowledgescape』展示風景

菊地:

みなさんこんばんは。今回6会場でやらせてもらっている本プロジェクトを企画した菊地と申します。僕はKANA KAWANISHI GALLERYで前川さんと二人展をやっています。みなさん、展示はそれぞれ見られました?

 

(会場に)見た人?(半分ぐらい手が挙がる)

 

ぼくは元々フリークライミングという岩などを登ったりするような競技をやっていて、そこをベースに写真とかを撮るようになりました。クライミングをするときは下見がすごく重要で、競技では「オブザベーション」というのですが、大会とかでもその「オブザベーション」はしっかり競技の時間の一部として決められていて、オブザベーションの長さが定められています。その「オブザベーション」という行為を普段しなくてもいいようなもの、町の街灯とか町にある構造物とか、そういったものに「オブザベーション」を仕掛けて、もう一度普段見慣れているものの構造や大きさだったりを捉え直すということをしています。その結果として、写真だったり映像だったりという形で作品を発表しています。

 

今回前川さんに声をかけたのも菊地さんですよね。

 

そうですね。前川さんは東大の中でどういう所属なんでしたっけ…?

 

去年までは機械工学専攻の修士課程、今は工学系の中の先端学際工学専攻の博士後期課程に所属しています。

 

なぜ前川さんを呼んだかというと、僕が制作のテーマにしている「尊景」という造語なのですが、尊景の「そん」は尊敬の「尊」という字で、「けい」が景色の「景」です。

 

大学時代に写真作品を制作していたのですが、僕はあまり写真自体のクオリティを追求しようとはしていませんでした。そもそも「写真」という単語って、漢字で表記すると漢字の意味合いが出てきてしまいます。英語の「Photography」とはまた違って、「写真」と言ってしまうと、例えるならば「Baseball」を「野球」っていう漢字に置き換えられたときに意味合いが変わってしまうような感じ。

 

僕は「真実」とかを写しているわけではなくて、あくまでも装置として、画材としてカメラを使って何かを制作する、というスタンスで活動しています。そう考えたときに、自分のテーマとして「尊景」という造語を作りました。でもその造語を作ったときに、「別に写真に関連するものだけじゃない」というふうな意味合いに思えたので、2年前に、4人のタイプの違う作家を呼んで、『尊景』という同じテーマでそれぞれが4会場で個展をやりました。


 

『尊景』展ウェブサイト: http://www.kanakawanishi.com/exhibition-respectablandscape-jp


 

菊地さんの作品がまだどういうものかご存じない方もいらっしゃるかと思うので作品自体についてもお話聞ければと思うのですが、結局、色々な構造物に登っちゃうっていうことですよね。

 

河西: 

菊地:

菊地:

河西: 

前川: 

藪前:

菊地:

左から:

《born #2》  | 2014 | archival pigment print | 1091 × 728 mm

《call out》 | 2014 | archival pigment print | 1091 × 728 mm

《ride on time》 | 2014 | archival pigment print | 1091 × 728 mm

©︎ Ryota Kikuchi, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

菊地:

藪前:

菊地:

藪前:

菊地:

藪前:

菊地:

藪前:

菊地:

藪前:

藪前:

菊地:

藪前:

菊地:

藪前:

菊地:

藪前:

菊地:

河西:

はい、そうです。

 

テーマとして「尊」という字を使う意味は何なのでしょうか?

 

昔はよく風景画が描かれていて、「その風景にどのように介入していくか」というようなことに視点を置くのが主流だった時期があったと思います。今は風景画ってほとんど描かれませんが、作品を制作する中で風景の中にどういう風に介入していくか、みたいなことが自分にとっては面白いんですね。その中で、「景色に対する尊敬」などと考えて「尊景」という造語を作りました。

 

じゃあ、そういう風景表現のアップデートみたいなのも意識されている?

 

それも一つではあります。僕が街灯に挟まっていたりという単純な状況ではあるのですが、構造物の持つ美しさに気づかせてくれます。こういうオブジェクトは全て誰かしらがデザインしていますが、こういうありふれたものってあまり見向きされないですよね。僕はそういうオブジェクトに興味をすごく持っています。

 

なるほど。面白いのは、「オブザベーション」が作品の肝であるということですね。

 

最終的にはプリントや映像に落とし込むことが多いのですが、自分の中ではプリントなど最終的なメディウム自体には執着していないです。

 

菊地さんの作品を見ると「危険だな」とか、「美術館だと展示できないんじゃないか」とか思っちゃうんですね。「誰かが真似するんじゃないか」とかいろんなことを言う人がいるので。だけど、菊地さんは、危険なものには絶対登らないんですよね。登っている以上、「この物体は身体的に介入できる」という判断、そういうその発見が作品の肝っていうことなんですね。

 

そうですね。僕がフリークライミングを高校で始めた頃は、結構山岳会の人とかから「高校生とかがやっていいのか」みたいなことを言われたりしたのもあり、「責任が伴うスポーツだ」という認識が強くあったので、それがすごい今でも自分の中にしみこんでいて、作品制作の上でベースになっています。

 

そもそもフリークライミングって、どういうスポーツなのでしょうか?

 

クライミングのスタイルの一種である「ボルダリング」という競技が今度の東京オリンピックでも種目になっていますが…

 

ボルダリングとは?

 

ボルダリングは、大きなくくりで言うとフリークライミングの中の一種。だから陸上で言う短距離・長距離があったりするのと一緒で、一番シンプルなロープとかも何も使わないようなスタイルです。

 

最近はニュースなどで扱われることも増えていますが、間違った伝え方を目にすることも多くあります。「ボルダリング = 4mぐらいの小さな壁を登るスポーツ」と伝えるメディアもありますが、ロープを着けないため、基本的には着地するまでを自己責任とする競技です。

 

ロープなどを使う競技であれば、たとえば8mぐらいの所に登っても安全に降りられます。でもボルダリングではロープも何も着けないので、基本的には危ないと思った瞬間に着地の姿勢をサッと取って、猫みたいに着地しないといけないんです。一番シンプルなスタイルなのですが、長くクライミングをやってる人は割とボルダリングに落ち着いていくことが多いです。

 

競技として、菊地さんのようにこういう都市空間の中で登るというスタイルはあるのですか?

 

競技としてはないですね。一応美術表現の中で僕はクライミングをしているつもりなのですが、クライミング仲間からすると「おまえ最近クライミングもせずに何やってるんだ」と言われるし、大学の中では「おまえクライミングばっかりしてるな」みたいなことを言われる。なので、今はどっちにも属していないような状況ですね。(笑)

 

でも、どちらかというとスケーターの人たちが都市や公園などで走り回るのと近いのかなと感じますね。

 

そうともいえますね。

 

あと、今回新作として《Jade》シリーズを発表していますよね。

《Jade #1》 (installation view) | 《Jade #1》 (reference image)

2018, unique, One-time-use camera

 ©︎ Ryota Kikuchi, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

菊地:

藪前:

菊地:

そうですね。この《Jade》シリーズは、一見ただの使い捨てカメラなのですが、作品です。(笑)

 

この中に1枚だけ僕が撮った写真が入っています。普段は体を使ったパフォーマンスが写真に写っているのですが、今回のシリーズには、僕の体が介入しなくても面白いと思える風景の写真が1枚入っています。

 

この作品の主題にしているのは、「作品がどこで完成するか?」という問いです。ドン・キホーテで780円で売られている使い捨てカメラを使っています。「Jade」は翡翠という鉱石を指すのですが、そのような名前をタイトルにつけて、元のカメラの100倍である78,000円という値段をつけています。

 

「アート作品は、どこで作品として成立するのか?」ということを自分自身で思うようになり、「もしかしたら、誰かが買ってくれることで成立するのかもしれない」と考えたりもします。先ほども話したように作品のアウトプットとしてプリントにこだわりがあるわけではないので、形態的には、《Jade》の使い捨てカメラの形をそのまま作品として楽しんでもいいですし、中の写真が見たければプリントしてもいいですし、残り26枚分のフィルムを使い切るという楽しみ方もできるという、割と自由な作品です。

 

これまでの自分自身が写真に写っている作品との関係は何なのでしょうか? 今までの写真作品でも、パフォーマンスをしている段階も作品である、というような意識ですよね。プリントだけが作品なのではなくて。

 

そうですね。本当はオブザベーションをした段階で、オブザベーション自体を作品にするのもありなのですが。より分かりやすくするために、パフォーマンスによって見栄えのいいメディアを使うようにしていて、それが写真であったり映像だったりする、という感じです。あとはゴムチップを床に撒いて、雪の上で遊ぶときにするみたいに僕がパフォーマンスをした痕跡をインスタレーションとして発表したりもしています。

菊地良太個展『尊景』(2016年)より

藪前:

菊地:

藪前:

とはいえ、「オブザベーションをした結果、ここはみんな登れます」って菊地さんが発見しても、やはり技術がないと実際にはできないですよね。クライマーとしての技術は作品にどう関わっているのでしょうか? やはり技術は磨かないと落ちていきますよね。おそらく普段そこに関しても鍛錬をされてるんですよね。

 

そうですね。クライミングをするのももちろん、普段から街中の構造物をオブザベーションの視点で眺めていますね。

 

今回の展示では、前川さんとの作品との組み合わせが絶妙ですが、前川さんは普段作品制作しているわけではなく、今回引きずり出されちゃった、という感じなのですか?

《stand》

2018 | mixed media | size variable

©︎ Azumi Maekawa, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

前川:

藪前:

前川:

河西:

前川:

藪前:

前川:

藪前:

藪前:

前川:

藪前:

前川:

藪前:

前川:

河西:

河西:

前川:

菊地:

僕は他の作家のみなさんと違い東京大学の工学系の出身なので、元々周りに作品を常に自主的に制作する文化があるわけではありませんが、ちょこちょこと作品を作ってきていました。ものを作る中で何かしらの表現をしていくことに興味があり、今回のような作品も制作しています。

 

作品には普段の前川さんの研究とどういう関係があるのでしょうか?

 

作品自体が研究と言えば研究です。通常のロボットは、標準化や規格化された部品を組み立てて作られ、人がロボットの動作を設計することによって一体のロボットが完成します。そこで僕が考えているのが、「身近にあるものを使ってロボットを作れないか」ということで、今回の作品のように、木の枝と機械を組み合わせて、自然物にロボットとしての機能を与えることができないかという取り組みをしています。

 

「東大で歩くドローンを開発した前川和純氏に開発秘話を聞いてきました」というインタビュー記事がネット上にもありますよね。こちらの記事では「歩行するドローン」が紹介されていますが、「歩かないものを歩かせる」研究をされているということでしょうか?

 

インタビュー記事:http://ascii.jp/elem/000/001/707/1707339/

 

僕は「動き」に興味があって、人工物の体を通した身体表現などを研究にできないか、ということを思って研究しています。

 

使う素材はなんでもいいのですか? 今回の作品の形はどういう風に決めましたか?

 

まあ自分で好きなのを選んでる感じですね。

 

適当に組み合わせたということでしょうか。

 

そうですね。

立たせやすいデザインにすることもできたと思うのですが、そういうことは一切考えず?

 

もちろんやろうと思えばできるのですが、自然のままの形の良さを取り入れることも可能じゃないかと思っています。

 

デザイナーではない人にとって形状を決めるのはけっこう難しくて、自分の好みの曲線とかをロボットに反映させるというのは大変なんですよね。それを「なんかこの形いいな」というものを選んで代替することによって、自分の意匠として、人工物に込めるということができるんじゃないかと思っています。

この作品は自分で学習してるんですか? カメラでデータを記録しているとのことでした。

 

今回は、全部ゼロから実空間で学習させています。

 

展覧会の会期中に、立ち上がる見込みは何%ですか?

 

見込みはあまりないです(笑)。

  1~2週間ほど経過したところで調整を加えようかな、という感じです。

 

以前から東京大学の情報学環・学際情報学府などが、現代アートをテーマにも含めているような展覧会や成果発表をやっていました。以前に『尊景』展に出てもらった松井克文さんも学際情報学府の出身で、僕のテーマである「尊景」に合うような他の作家がいないか伺ってみたところ、前川さんを紹介していただきました。それがきっかけで今回の展示にお誘いしました。

《walk》

©︎ Azumi Maekawa, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

前川:

藪前:

前川:

菊地:

(映像を見ながら)これが一個前に制作した《walk》*1で、このときは歩くことをテーマとして、枝で作ったロボットを作り、そのロボットに歩くような動きをさせています。枝をスキャンして、シミュレータの中で「ちょうどいい動き」をPC上で見つけ出し、ロボットを動かせています。

 

それに対し、今回は実空間ですべて最初からロボット自身にやらせています。なので今回はもうちょっとプリミティブな機能として「立つ」という動作に着目しました。

 

この技術の先に前川さんが見ていらっしゃる世界やビジョンのようなものはあるのでしょうか?

 

先程話した「身近にあるものを使って動くものが作れる」ということです。例えばロボットのあるパーツが壊れたときに、その場にあるもので代替できればいいんじゃないかとか、そういうことを考えています。それが可能になるのは先の未来だとは思いますし、今僕がやっているようなことから直につながっているわけではありませんが、そういうことができればいいなと。

 

例えば今回の作品の一部のような関節部分だけがあれば、パーツを現地調達することでロボットを完成させることができる。現地の風景に介入できる。そのコンセプトが「尊景」というテーマにも合うんじゃないかということで、前川さんに声をかけました。

 

小城開人『この世の話をしないすべ』

 

河西:

では次に、アルマスギャラリーさんで展示をしている小城開人さんです。

『この世の話をしないすべ』展示風景 

小城:

よろしくお願いします。今回展示している作品は、普段自分が作っているものとはタイプが違うと思っています。では普段どういうことをしているかというと、メディアの性質を考えるのが好きで、例えば、ブラウン管テレビに静止画が写るの観察していると、静止画と動画の境界がなくなっていくように思うことがあります。

   そのように「これはこういうものだ」という認識が歪むような感覚が面白いなと思って、そのような興味を基に制作しています。

《この世の話をしないすべ 2013.8-2018.8》

2013-2018 | video with sound | 72' 00" | ©︎ Kaito Kojo

普段は一つの作品にしばらく時間をかけて形にしていくことが多いのですが、今回の展示では、真ん中にあるモニターに流れる長めの映像作品《この世の話をしないすべ 2013.8-2018.8》(72分)をメインとしています。

 

この作品を構成している個々の短い映像は普段の生活の中で「何となく変な風景だな」と思った場面を記録撮影したもので、撮影時には、その一個一個を作品にすることは考えていません。なんとなく面白いと思ったので記録として撮影していただけなので。そんな映像を時々SNSに投稿していたのですが、それを今回の企画者である菊地さんが見て下さっていて、「この映像をまとめたものを今回の展示に出してほしい」という風にお誘いいただきました。

 

そういう経緯だったので、はじめは、作品だと思っていなかったものを展示することに迷いはあったのですが、面白い状態や変な場所というのは現実の中にわりとたくさんあるのだと提示するということ自体は結構価値があるんじゃないかなと思い、今回の展示に至っています。

《今日のリハビリ》シリーズ

2018 | ©︎ Kaito Kojo

藪前:

小城:

藪前:

小城:

藪前:

小城:

藪前:

小城:

藪前:

小城:

藪前:

小城:

藪前:

小城:

藪前:

河西:

小城:

小城:

藪前:

菊地:

河西:

映像作品の周りには小さいオブジェのような作品が16点ぐらい置いてあります。

《今日のリハビリ》は、先月の暮れぐらいから「一日一点作品を完成させる」というルールの下に制作した作品です。必ず一日一点完成させないといけないので制作時間が短く、故に作品としてギリギリ成立しているようなものがほとんどなので、「作品と呼べるかどうか」の境界線が現れてくるシリーズだなと思っています。

 

タイトルに「リハビリ」と入れているのは、この作品を制作することを、普段自分がしている制作に対して最近感じている調子の悪さを打開するための訓練、と考えているからです。

 

「リバビリシリーズ」と「この世の話をしないすべは」それぞれ別の経緯で制作されているのですが、最終的に出来上がったもののあり方や立ち位置は、共通する部分があると思っています。

 

「普段の作品とは違う」ということは、今回の展示はスピンオフ的な位置付けということですよね。ただ、普段作っている作品とは違うけれど、今回展示しているのも作品なんですよね。なぜ普段の作品とは違うのに作品だと言えるのかが謎のような気がします。ご自身が普段制作しているメインの作品に対するフィードバックや、小城さんの中のヒエラルキーが何であるかがすごく不思議に感じます。お話を聞いていて感覚としては分かるのですが、どういう所でそういう差別化が出てくるのでしょうか。自分の作りたい作品像があって、それに近いものがメインの作品で、そこから派生していくものが小城さんの中にあるのでしょうか?

 

そうですね。《今日のリハビリ》シリーズを作ってるうちに、「美術って、本当はすごく懐が深いはずだ」という気がしてきて。つまり、単なる思いつきで何かを発表すると、それによってもしかしたら人を傷つけるかもしれないし、発表する前に考えるべきことはいっぱいあるけれど、とはいえ「そんなものを発表するのは絶対ダメ」とはならないんじゃないか、ということです。

 

また、一つの作品に時間かけていると「ここは変えた方がいいんじゃないか」など色々なことを考えてしまいますが、出来上がったアイデアをそのまま発表してしまうことも美術の一つの側面ですし、だから今回展示しているものも作品と呼んでもいいんじゃないかと思っています。

 

作品であると断言できない側面もありつつも、「自分は作品を展示しています」という態度で、自分の感覚との擦り合わせはできていると考えています。

 

小城さんは何年生まれでしたっけ?

 

95年生まれです。

 

95年か…(笑)。95年、ちょうど小城さんが生まれた頃に活動を開始した、私ぐらいの世代の作家の中では小城さんが今おっしゃっていたような表現というのは割とよくあるものだったと思います。それこそインスタレーションという形で、日常のものを小ネタのように繰り出すスタイル。

 

おそらく小城さんにとって、今はどういう作品を主として作るのかを模索する時期だと思います。それは、今までやられてきたいろんなことを考えて選択されると思うのですが、そこのところはどういう風に考えていますか? それとも全然考えてないのでしょうか? もちろん作品の中に「何か面白いな、新しいな」と思うこともたくさんあったのですが、スタイルとしては、先ほど話したような上の世代のアーティストたちと同じように捉えられてしまうとも思うので。

 

正直自分は上の世代の作家たちについてなどは不勉強で、まだあまり自分と他の作家たちを比較できていないのですが、おそらく自分の特徴として、すごく気楽に考えているような所にあると思っています。今回自分は展示として発表をしていますが、SNSに投稿するだけとか、それをスタイルの一つとする場合もあってもいいんじゃないかなと思っています。

 

SNSという存在があるというのは、上の世代とは条件が違いますよね。映像はインスタグラムのストーリーとかに上げてるんですか?

 

Twitterに上げてます。

 

Twitterに映像を上げてるんですね。じゃあ、ああいう遊びが昔からあって、慣れ親しんでいる感覚なんでしょうか?

 

Twitterをやり始めたのが中2ぐらいの頃なので…

 

ほう、中2か…。(笑)

 

動画を上げられるようになったのが高3ぐらいなので、その頃からこういう発信のしかたには慣れ親しんでいましたね。

 

映像作品を拝見して、自分の子供が私のスマホとかで撮る映像にすごく似ているなと思ったんですよね。なので、小さい頃からこういうことをやってきた世代なのかなと。必ずしも世代が関係するわけではないとは思いますが、でもやはりメディアに対する距離感が上の世代に比べるとすごく近いのかもしれないですね。

 

そうかもしれないですね。

 

でもやはり小城さんが普段作ってらっしゃる「本当の作品」が気になります。

 

小城さんはまだ学生なので、本人もどのような作品を「自分の作品」と呼ぶのかは探っている部分もあるかも知れません。

 

どういう所に興味があるかは把握しているのですが、どういう手法で一貫して作品を作るかっていうのは、固まっていなくて。そういう意味では学習中ですね。

 

こういうお話は、むしろ菊地さんに聞いた方がいいですね。なぜ今回、菊地さんが小城さんに映像作品を展示するようにお願いしたのでしょうか?

 

なんというか小城くんは、直感で制作をしているような人だと僕は感じていて、僕とは違って使うメディアなんかも軽やかで、すごく独特で。展示をお願いしたときにはもう少し映像が中心にいっぱい展示されるのかなと思ってたんですけど…

 

《リハビリ》シリーズとしてアウトプットされたのは非常に興味深いですね。

​——————————————————————————————————————

*1協力者:Jun Hatori, Shunta Saito, Hironori Yoshida, Ayaka Kume, Preferred Networks, inc.

​1    

All Rights Reserevd by  KANA KAWANISHI ART OFFICE LLC.

  • KANA KAWANISHI GALLERY on Facebook
  • KANA KAWANISHI GALLERY on Instagram
  • KANA KAWANISHI GALLERY on Twitter