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『アキラトアリキノアラタナアリタ:現代陶芸としての有田焼』

トークイベント第二弾

「『現代陶芸』をかんがえる:伝統工芸と現代美術の摩擦が生み出す新しきもの 」

初期の有田焼と明治の有田焼

初期の有田焼と明治の有田焼

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「技術の進化とは何なんだろう?」と考える時があるのですが、400年前の人たちの作品は素朴で分厚くて粗いのですが、現代では打って変わって非常に綺麗ですよね。古美術に関心がある方には理解いただけると思うのですが、現代の焼き物はパーフェクトで欠点がなく、初期の作品には欠点だらけですが、長年の経験からすると骨董に詳しい人は最終的に初期の作品に行き着きます。初期の作品はガサガサ、ブツブツ、分厚くて欠点だらけなのですがそれ以上の魅力を持っているんですよね。では現代の作品はというと、完璧なんだけど魅力がないと言われます。有田焼が始まった当時は、何とか中国の陶器の品質に追いつこうとより白い素材を求め、精製も行い、綺麗な形を作るためろくろも試行錯誤し、絵付けも完璧なものにしようとしていました。ということは現代の有田焼こそが彼らの求めていた形なのですが、骨董好きから「白くて綺麗で完璧だけど、やっぱり初期の作品の方が良い」と言われてしまったら、彼らからすれば「じゃあ自分たちがやってきたことは何だったんだ」と思ってしまいますよね(笑)。

 

アリキさんはあえて灰色がかったシックな素材を選んで制作していますよね。そこが藤元さんの作品とはまた違う有田焼の要素を持ち合わせていている部分だと思います。彼女のプロフィールを見ると自然や素材からインスピレーションを得て、それを形象化させているとのことですが、その感性を持って有田に来たからか、彼女の作品は真っ白な有田焼というよりかは、初期に近いざっくりした素材感を感じられる有田焼ですね。緻密で完璧な絵付けではなく、雨が自然に作り出した偶然の賜物を形にしていたり。こういう点で、藤元さんとは素材との付き合い方が違うんだなと思います。

 

藤元さんの作品は非常にパワフルで、一方アリキさんはしっとり、ざっくり、ナチュラルな感じですよね。皆さんはどちらの方が好きですか?

 

(笑)

 

その質問は危ないですよ(笑)。

 

去年、明治の作品をテーマにした巡回展*13を担当しました。最近では明治の作品の再評価が広がってきているのですが、この時代の特徴は「超絶技巧」とも言われ、びっしりと絵柄が描き込まれていたりしていて、藤元さんの作品に近いんですよね。なぜ明治にはこのような作品が作られたのかを説明しようとすると、「時代の力のせい」としか言いようがありませんが、私の解釈では、明治時代の人はテンションが高かったということです(笑)。

 

江戸時代では、陶芸の世界では京都くらいでしか作家として自分の名前を器に書くことはありませんでした。有田焼では一切ありませんでした。しかし明治になると、万国博覧会に出品する際に作家として名前を書き入れたんですよね。今までずっと無名だった職人たちが世界の舞台に立てるとなればもちろんテンションは上がるじゃないですか(笑)。半端なくテンションが高くなって、どのようなものが生まれたかというと、巨大な作品と細密描写でした。大きくなるからといって雑になるのではなく、模様がより細かくなっていきました。私は、大きさと細密描写の描写の共通点をはじめは理解できなかったのですが、そのうち見つけた共通点はテンションでした。藤元さんはテンション高い人ですよね(笑)。

 

明治の作品の展覧会を嫌う人もいれば、ものすごく惚れ込む人もいますが、その明治のテンションを受け入れられるか受け入れられないかで好き嫌いが分かれるのだと思います。明治の作品を素晴らしいと思わない人は、自分のテンションが下がっているだけなのです(笑)。

 

それは・・・(苦笑)僕は明治の作品が好きですね。

 

(笑)

 

アリキさんの作品が好きな人は、テンションが下がっているんです。でもね、癒し系ですよね。結局、現代においてはこのテンションの高い明治時代のような作品と、アリキさんのナチュラルな作品が両方あって良いと思うんですよね。

 

佐賀県には有田焼と唐津焼があるのですが、唐津焼は生産量としては有田焼の数パーセントの規模ですが、マニアックな人ほど唐津焼の方を好むことが多いですね。素材感が特徴で、ひん曲がっていたり、ざっくりした印象です。唐津焼の人たちは土そのものが好きな人たちで、酒好きも多いですね(笑)。例えるならば、居酒屋でグダグダしているのは唐津焼の人で料亭など綺麗なところで上品に飲むのが柿右衛門*14など有田焼の人間です。

 

(笑)

 

唐津の作家たちは、「一周遅れのトップランナー」と自虐的に言いますね(笑)。産業としては完全に有田焼に負けてしまっているけれど、素材が好き、骨董好きで超マイナーな人は唐津焼を選ぶんですよね。

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「現代陶芸」とは

「現代陶芸」とは

「味わい深い陶芸」を追い求めている僕の同世代、または僕よりも若い作家はたくさんいると思います。そういう作家たちのことを現代陶芸作家と呼ぶのか?というのが僕の疑問で、彼らの作るものはどういう位置付けなのかなと思います。また、僕は彼らと違って、すでに器や壺として出来上がっているものを使っているため土を触ることがほとんどなく、他の作家たちとは全く違う文脈上で作品を制作しているので、鈴田さんから見ると僕の作品は陶芸なのか、何なのか、ということをお伺いしたいです。これが僕にとっての今日の醍醐味ですので(笑)。

 

昔は産地からでしか陶芸家は生まれませんでしたが、今では大学で習ったり、産地や伝統は関係なくアーティストとして制作する人たちが出てきました。有田焼は当然産地から生まれる陶芸であり、私の目線から見ると藤元さんは産地あっての陶芸をやっている作家であると思います。アーティストが有田に乗り込んで制作している作品にはいろんな作風があって、アリキさんのように自立した感性で作品を作る人もいますが、「2016/ project」のようにデザイナーとして商品を作るという人たちもいますね。ただ、藤元さんはこの二つのパターンとも違いますよね。在庫品を使って新たな価値を創り出そうとしていますが、可能性としては大いにあると思うので、どんどん進めていってほしいなと思います。

 

僕は別の窯元さんにも泊まったことがあるのですが、そこでは倉庫に眠っていたものをカゴいっぱいに入れて5千円や1万円で売る「トレジャーハンティング」*15という企画をやっていました。それは人気があると言っていましたが、裏を返せばどこの窯元にも大量のデッドストックが眠っているということですよね。僕は制作を通してARITA PORCELAIN LABさんで眠っていたけっこうな量のデッドストックを使いましたが、まだまだ倉庫にはあります。現在稼働している窯元だけでなく、多くの窯元が潰れてしまった時期があったと鈴田さんからお伺いしましたが、その時に出てきたものもあるでしょう。そして日本だけではなく、世界中にデッドストックはあるはずです。僕としては有田でなくても他の陶芸でもやりたいとは思っていますが、なかなか接点を持つことがまだできないのが今の状態です。例えばイギリスのウェッジウッド*16でも大量に生産していますから、相当余っているはずですよね。なので、彼らがその問題に対しどういうアクションを取っているのかには興味があります。

 

というわけで、僕が有田焼を選んだわけではなくて、実際は一番最初に出会ったのが有田焼だっただけみたいなことでもあるのですが、フィールドワークとして窯元でできるところまでやっていった結果がこの作品ですね。

 

余談ではありますが、川尻さんにまつわるエピソードがありまして、彼のお父さんも職人さんで、皆から「親父」と呼ばれていたのですが、親父さんは寡黙で全然話さないの人だったようです。ただ、技術的な話をしようと思って川尻さんが親父さんに「これはどうやったらいい?」という風に話しかけた途端に火がついて、三日間川尻さんにベタ付きだったらしいです(笑)。

 

陶芸だけでなく、日本の伝統的な国産品はどれも危機に瀕しているとよく聞きますが、共通している要因ははけ口がないという点。ただ、ものづくりが日本の強みでもありますし、積み上げてきた技能があるので潰れていくのはもったいないですよね。そういう場にアーティストたちが乗り込み、歴史や風土を吸収して新しいものを作っていくことの意味というのは抽象的には理解ができるのですが、実際はその地域で育まれた技術が一番強いのではないかなと思います。あとは、特産品が生まれるのは大抵その地域でしかとれない素材があるからこそですよね。残念ながら、有田焼は有田の素材ではないので、それはかなり地場産業にとっては悩ましい問題ですが。素材自体を中性的な使いやすいものに変えるのは当然誰でも考え得ることなので、ではその中で「地域の特性とは何なのか」と考えるのですが、その辺は振り切って乗り越えないと続いていかないんですよね。

 

本当にそれは難しいことだと思います。こんな産業が他にはないので、今まで続いてきたことが奇跡的なようにも思いますね。

 

ヨーロッパの産業でも、経済の論理に乗っていた伝統産業は結局すべて潰れています。ウェッジウッドもそうですし、経営者がコストを考えて人件費の安い中国で生産するようになりました。そうすると産地が移動してしまい、材料も化学的に分析し、元々の素材と似たものを作れば良いじゃないかという考え方になっていき、ますます産地が関係なくなってしまいます。そうして伝統的な産業を持つ産地がどんどんなくなっていってしまいました。それがもったいないし、何とかして残していきたいと思っているからアーティストやデザイナーたちに期待するわけですよね。

 

博物館として有田の歴史や技術、人間国宝の方々の作品を残していく役割を担われている鈴田さんですが、現代の要素を取り入れていくことの難しさを先ほどトーク前にバックで語っていらっしゃいました。藤元さんやアリキさんの作品のように美術史や陶芸史をもう一度掘り起こしたり、別の視点で新たに生まれてくる現代の有田焼を織り交ぜて展示していくことで有田焼の新たな歴史作りをする、というような要素は博物館の役目の中にはあるのでしょうか?

 

それはうちの館の欠点でもあるのですが、優秀な職員が揃っているのですが、彼らは考古学や美術史が専門の人間たちで、私自身もどちらかというと歴史の方面に留まっておきたいと思っています。東博(東京国立博物館)にしても京博(京都国立博物館)にしても古いものをはいっぱい所蔵しているのですが、現代には結びつきません。古いものを扱っている方が歴史の面白さもわかりますけど、うちで最先端の陶器を並べるということはしませんね。一方、現代美術もそれだけを扱うギャラリーや美術館があって、博物館と現代美術の間には溝があります。特に日本はそうですよね。

 

江戸時代から分業で生産されてきた有田焼ですが、職人さんによる手描きの絵柄の上にプラチナを乗せた藤元さんの《Cancel》シリーズは、ある意味世代を超えた昔の職人さんとの分業の結晶である、という解釈もできるのではと思うのですが。

 

そうですね。展示されている作品(Cancel plate #1, 2015)には虎と龍が見事に描かれていて、その上からプラチナで絵を隠していますが、この絵付けをした職人さんがこれを見たら怒りますよね(笑)。「自分がせっかくここまできれいに描いたのに」と。

 

明治の有田で染付を頑張って素晴らしい作品を作って、そこにもう少し付加価値をつけようと長崎で蒔絵を施して仕上げたものが何点もあるんですよね。その一つがこの高さ185cmで当時としては世界最大の花瓶で、明治6年のウィーンでの万国博覧会で日本のパヴィリオンの入り口に飾られていました。

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《染付蒔絵富士山御所車文大花瓶》

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染付は有田の職人が命を懸けて描いていて、長崎の職人が蒔絵でさらにバージョンアップしていますが、染付を描いた人からすればこれを見たら「自分が一生懸命描いた富士山の隣に蒔絵で御所車なんか描きやがって」と怒るだろうなと思いますよね(笑)。でも、見る人は花瓶の全体を見るので制作者のことは関係ないんですよね。なので藤元さんの作品も、虎を描いた人は怒るかもしれませんが虎だけで完結するより、藤元さんの手でプラチナが加えられることによって、アートとしては素晴らしい作品になっていると私は思います。

 

元々の虎と龍の描かれた皿を見つけたときに「何年前に誰が描いたのですか」と皆に聞いたのですが、社長すら知らないんですよね。ずいぶん昔から残ってしまっているもので、今工場で働いている人はせいぜい長くても20年とか30年なので、それよりも前のものについては誰も知らないんですよ。絵付けの転写シートについても、何が何の用途に使われていかを知っているのは17歳から50年働いている中島さんという方だけなんです。わからないものなのに、残さないといけないと言われているから残っているだけなんですよね。

 

それがある意味「制御不可能」なことですよね?

 

そうですね。捨てるとお金がかかるし、でも売る予定も一切ない。絵付けの転写シートも新しいデザインを作り続けていくので古いものは一切使わない。そんな状況の中で虎と龍の皿をどうにかできないかなと思っていたのですが、絵柄の転写シートを使うのはデザイン的にいまいちなので、別のアイデアを考えていた時にプラチナの案が出てきて、相性が良さそうということで採用されました。

 

この作品を日本伝統工芸展に出品すれば、審査の時に面白い議論が起こるんじゃないでしょうか。

 

(笑)

 

例えば「本人は下絵を描いていないのではないか」とか。そういうどうでも良い議論っていうのが生まれると思います。でもそこで出てくる意見というのは価値の置き方によるものですよね。では「審査員たちにとっての陶芸作品とは何なのか」というのがポイントになるわけですが、例えばろくろからすべてを一貫して一人で作るのが陶芸であると考える人が一時期いました。近代の陶芸家の定義というのが私たちのいる専門家の世界にはあって、それは誰を差すかというと富本憲吉*17です。彼はなぜ評価されているかというと、自分でろくろを引き、オリジナルの紋様を生み出し、文章を書いてコンセプトを伝えることで産地を離れた芸術家としての陶芸を確立した最初の人物だからです。しかもレベルが高かった。その彼を現代の陶芸における基準にすると、酒井田柿右衛門も分業でやっているのなら個人の陶芸作品としては言えないんじゃないかという議論が出たこともありました。

 

それは想像できますね。今でも一般的な陶芸の作家は自分で一からろくろを回して染付もして、という風に制作していると思うんですよね。そうでないと芸術作品と呼べないところがあります。

 

それは狭い意味での陶芸であり、そんなことを言うのであればヨーロッパにおいて建築家は芸術家とされますけど、では「彼らは自分でコンクリートを扱うのか」というと、そうではないですよね。コンセプトをしっかり持っていて、造形に責任をもって自立していればアーティストになれるのでは、と思います。また例えば、漆の作家は漆を施す物自体は自分では作りませんよね。では、彼らも芸術家とされないのかという話になってきますが、現代でもこの議論がぶり返していますね。

 

それは美術の世界もそうですよね。スタジオで大人数を雇ってチームを編成し、大型の作品を速いスパンで制作していくスタジオスタイルと呼ばれる方法がありますし、そういうことをやっているアーティストが世界ではランクのトップに君臨する人たち。自分で絵を描くことはないような人たちですね。ただ、本人がそうしたいというよりかは、このマーケットで残っていくにはそうせざるを得ないからだと思うんですよね。

 

個人では作れない規模の作品に大衆が慣れてしまっていますよね。

 

そうです。ダミアン・ハーストは手を動かしてはいませんが、彼が提案して作品が作られることで「ダミアン・ハーストってまじすげえ」という反応が返ってくるわけです。

 

個人的な質問なのですが、社長にまず話を持ちかけて、大体「いいね」と言われてきたと思うのですが、今まで「ダメ」と言われたことってありましたか?

 

スケジュール感で難しい時だけですね。例えば「年末の忙しい時にこんなことはできない」とか。基本的にはそのくらいですね。ARITA PORCELAIN LABはコラボレーションに慣れているので。

 

とはいえ、今後のプロジェクトでウェッジウッド・ヴィンテージをARITA PORCELAIN LABの窯で焼成してもいいかを松本さんに電話で確認された際は、すごく気を遣われていましたよね。

 

香奈さんのご両親がコレクションされていた大量のウェッジウッドがあるそうで、「それを使って何かやってみたら?」と提案されたので恐る恐る松本さんに聞いてみたのですが、あっさりと、「いいよ!」って言われました(笑)。

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*13 巡回展「明治有田 超絶の美 ─ 万国博覧会の時代 ─」(2016年)

*14  酒井田柿右衛門:https://ja.wikipedia.org/wiki/酒井田柿右衛門

*15 吉田皿屋トレジャーハンティング:https://owatari.com/

*16 イギリスの陶磁器メーカー:https://ja.wikipedia.org/wiki/ウェッジウッド

*17 https://ja.wikipedia.org/wiki/富本憲吉

    

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